腐ハウスブログ

腐女子4人でシェアルームしてます。

腐ハウスの毎日とそれぞれの毎日

21世紀の30歳はすきなものがわかりません。

最近なんかしんどいというかなんかきついなあ、ということが多く、ぼやぼやしてコナンの映画見に行ったらクソ面白すぎて今実は既に3回見たんですが完全にダメ人間のまま中国語教室の宿題をサボったりしていて2週間すぎていてさすがにダメすぎて一周まわってますますきつくなってきました。
もう5月も半ばなんて月日の経つのがはやすきてきつい。


最近あんまりアイドル情報を追えてない、というか追ってないんだけども、それは気持ちが冷めたというよりは、なんか見るのがつらくて耐えられないのでとりあえず目をそらすのを増やした、というのがあっている。

前々から、アイドルを愛でるっていうのは(私のようなすきになり方においては)ものすごく罪深い、やつだなと思いつつ、それでも気持ちの勢いでぶった切ってきたところがあった。が、ぶった切るのも限界というか刃が鈍って切れずにそのままぶち当たった感。
私のような、というのは、音楽性とかダンスがーとかラップがーとかそういうのではなくて、こうアイドル個人をすきというか、個人を推しているタイプというか、まず個人ありきでそれに歌ったり踊ったりがくっついてくるタイプのすきになり方なんだけども、私は自分がアイドルハマる前からアイドルというのはそうやってすきになるものだと思っていたし今もそれは変わっていない。アイドルというのは、その個人を、会ったことも話したこともない個人に得られた情報から構築した自分の妄想をかぶせてそれを愛すもの、だというのはわりと確信している。自分にとってはそういうもの、だというのを確信している。

 

確信しているので段々つらくなってきた。
そもそもやっぱりそういうすきになり方っていうのは、最終的なところで「倫理にもとる」というところを超えられないなというのをしみじみ了解してしまったので。
いやだってね、やっぱりそもそも「知りもしない他人」に幻想ぶっかけてその幻想を愛して幻想に違ったら気持ちが冷めるなんてやり方は、顔見知りレベルで知ってる相手へのすきになり方にしてもどうかと思うが(中高のスクールカースト最下位あたりの人間は同じクラスの人間にもこういうのをやりがち、いや私のことです)、やっぱ、これは、いかんやつですよ。いかん。
勝手に期待して勝手に失望してみたいなのを、まだ失望はしたことはないのだが、これから先絶対多分あるだろ、というのを隣の芝を見ながら明日は我が身と恐れており、勝手に期待して勝手に失望して、というのを自分でやらかすのを想像するだけで既にきつい。そういう状況になるのもつらいが、自分がそうなるのがつらい。

 

音楽とかダンスとかなんかそういう技量をメインにしてアイドルを好めるひとが大変羨ましい。技量を評価する、というのはわりに「正しい」ことだと思う。技量というのは評価されるために身につけるものだ。だから技量を評価することは、間違っていないしなされてしかるべきものである。

しかし私がやっているアイドルのすきになり方というのはそういうやり方ではない。正当な技量への評価ではなくて、なんだかよくわからないけど何かをきっかけに(顔だったかすら最早わからん)そのひとに幻想をぶわっと膨らませてしまって、そこにあとからの諸々の技量がついてきてそれを「素敵に感じる」ように自分の気持ちでもっていってるわけで本当にそれが素敵なのかすらよくわからない。

そういうのがつらいなあ、と思う。自分が何をすきだと思うのかよくよくわからない。

 

売れてほしい、とか売れ続けてほしいとかいうことを考え続けるのもかなりきつい。生きている人間なので食い扶持は必ず必要である。アイドルはアイドルの仕事を続けないと食っていけないけど、アイドルは一生をかけるにはちょっとつらすぎる職業だというのもわかる。何しろ私のようなファンがつくのである。技量を評価するのではない、個人に幻想をかぶせてみているファンが。これはつらい。しんどい。そんな幻想に一体いつまでつきあってやらなきゃいけないのか?

アイドルという仕事から次のステージへ、ファンの幻想に付き合い続ける忍耐力的な意味でのアイドルという仕事の才能というのはあるかもしれないけど、その次の、もっと個別的な才能、演技とか歌とかとにかくそういうより幻想との付き合いが気楽なほうへ、ファンを「裏切る」可能性の低くていいステージへ、脱出してくれと思うがしかしアイドルでなくなったら推しを推し続けられるかというと私は多分できないと思う。

私は、自分の幻想につきあってくれるアイドルでなければ、すきになれない。これもまた確信している。その辺の、アイドルじゃないラッパーとかぜってーすきになれないもんだって幻想につきあってくれないから無理。冷たすぎて全然無理。

 

売れればアイドルなんてもはやしなくてもよくなる、それは推しにとっておそらく喜ばしいことではないかと思う。もしかしたら心からアイドルという仕事に向いていると自分で思っていて天職みたいにやっているひともいるかもしれない。が、そんなことはわからないし端的に恋愛や結婚についてファンとの折り合いを考えつつやらなきゃならん、というのは現代の倫理観からいっておかしい。しかし、恋愛や結婚にショックをうけてファンをやめる、というファンがいたら、そりゃ考えざるをえない。ファンとの約束というより、これから先の食い扶持を保つために。

なんかこうそうやってファンとして推しの食い扶持を人質に推しの私生活を縛っているのがつらい。いや、そんな縛る力なぞファンにはないかもしれない。そんな権力実は無いのか?どっちなんだろうか。バンバン好き勝手やっても実は大丈夫なのか?そんなことはやっぱりなくてファンというのは推しの足枷なのだろうか。一体どっちなんだ。ファンとは一体何なんだ。誰か教えてほしい。

 

私は「幻想に付き合わず勝手に恋愛したり結婚したりするなんて詐欺だ」という言葉を口してはいけない、それは言ってはいけないことだ、というのは一応わかっているつもりである。が、うっかり言ってしまったらどうしよう、と何かしら炎上が起こるたびに思う。うっかり言いかねないのは、それは私が幻想をすきだという約束をアイドルに求めていることは事実だからである。うっかり口に出しそう。「アイドルだって普通の人間なんだから」という正論が、本当に倫理的にあまりにも疑う余地のないことなので、自分のやっていることがとても非倫理的だといちいちわかるのでとてもきつい。きついのである。生きている人間のファンをするというのがとてもきつい。

 

 

というわけで最近はアイドル情報を追っていない。私が非倫理的なことについて、一体どうやって解決していいのかわからないからである。果たして、私の非倫理的なアイドルのすきになり方と、実際にアイドルをすきで応援するということは、両立できるんだろうか?誰か教えてほしい。思うのは自由でしょうかね。思うのは?では口に出さなければ?口に出してしまったらアウトですが、思うのは一体どっちなんだ、可なのか否なのか。

 

 

などと思うととても疲れてほかの沼をあさりにいったりしているけども、ああ二次元に戻ったらそっちのほうが楽だっただろうか。本人という正解がいなければ少なくとも非倫理的にはなりようがないからマシか?

久しぶりにPixivで二次創作を読んでいたら、私そういえばオタクの始まりは男女カプだったなあというのを思い出して、しかし男女カプだと私のフェミコードにガッツンガッツンひっかかってくるのでなかなかしんどいものがある。何故いつも女子キャラが料理をつくっている二次創作なのだ。結婚がゴールなのか。この辺が21世紀に読むにはしんどいのである。私が読んでいた20世紀の作品は今読むにはきついのである。でも私は明るいラブコメみたいなのめっちゃすきなのでリアルに中学生から好みが変わってないことを自分のPixivのお気に入り一覧から改めて知らされて恥ずかしい。ちょっとだけ消え去りたいくらいに恥ずかしい。なんで自分、手を繋ぐみたいな話がすきなんだろうか…!

 

21世紀の30歳は一体なにをすきになるのが正解なのか、誰か教えてほしい。本当はもっと年齢に相応しいものを相応しいように余裕ですきでいたいのだが、中学生から進歩がないので、とてもつらい。アイドルのことを茶化せないような非倫理的な方法ですきなことがとても、なんというか、直視するにいたたまれないし単純につらいのであった。

 

21世紀の30歳は一体なにをどうすきになるのが正解なのか、頼むから誰か教えてほしい。