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腐ハウスブログ

腐女子4人でシェアルームしてます。

腐ハウスの毎日とそれぞれの毎日

働くことは難しい

くるくる

『この世にたやすい仕事はない』を読んだ。小説で、著者は津村記久子である。

 

津村記久子というと2009年に『ポトスライムの舟』芥川賞を受賞したので私は初めて名前を聞いたんですけども、当時大学生だった私は、「労働と雇用をめぐる問題と女性達の連帯の物語」みたいな評を見かけても「はあ」という感じで全然読もうという気にならなかった。
それがなんで読むことになったかというと、たまたま就職活動をしていた当時、文庫化されて書店にたくさん並んでいたのを見たからだった。今検索しても出てこないので帯ではなくて店頭のPOPだったのかもしれない(もしくは私の記憶の捏造…?)。
「年収163万円、それでも生きていける」みたいな文章を見たのだ。私はそれに大変心を動かされた。

 

私はとにかくふわふわとした人間なわりに強情なので、「志望動機?そんなもんねーよ」とかエントリーシートに悪態をついているうちに1年目の就活では落ちまくって就職できず、大学を留年してもう一度就活をしたのだがそれでもまったく内定は出ず、エントリーシートを書いては連絡来ず連絡来ず来たと思ったら1次面接で落ちみたいなことを繰り返して何十社という状態だった。サイレントお祈り一生許すまじ。
思えば大学に入った当時は研究者になりたいと思っていて大学院に進学しようと思っていたのだけども、大学で教授や先輩達や同期の姿をみたら私はあんなに頭もよくないし根性もないし何より外国語を勉強するのがつらく(私は今も昔も日本語しかできない)、英語の論文ひとつもろくに読めないし、とてもじゃないけど無理であった。かといって大企業に入ってバリバリ働きたいという気持ちは皆無。ちなみに今も皆無。要は「頑張らずにそれなりに生活したい」という希望だけが一貫しているんだが、そんなふわふわした希望はこの平成大不況ではもちろん勝ち抜けないのである。ていうかいつまでこの平成大不況やるつもりなんだろうか。私昭和62年生まれだけど気がついたときからもう延々と不況だよ。私が生きてるうちに景気がよくなることってあんのかな。

 

ちなみによく「東大なら就職とか余裕でしょ」と言われるし実際余裕なひともいるけど、少なくとも私の周囲は全然余裕じゃないひとも多かった、と思う。文学部だったからかもだが。エントリーシートを馬鹿にしつつ企業にそれを悟らせないエントリーシートを書くことができるくらいには器用でないと就職はできない。
「働く気はあまりないが働けないと困ります」という志望動機で何十社と落ち続け、このまま私本当に無職になるのかしら…と不安で不安で仕方なかった。毎日ふくろうのぬいぐるみを抱きしめてしくしく泣いていたし、駅のホームで突然しくしく泣いたりしていた。今思い返すとだいぶキていたなあと思う。


そんなときにたまたま買った『ポトスライムの舟』。
主人公のナガセは新卒で入った会社でパワハラを受けてうつ病になり退社、その後奈良の実家に撤退した。現在は雨漏りするほど古い実家に母親と二人暮らしで、近くの化粧品会社の工場でベルトコンベアーを流れてくる化粧品の品質検査(ボトルに傷が入ってないか、とかを目視で確認する作業)の仕事をしている。年収は手取りで163万円ほど。実家に住んでいるのでなんとかなっているような収入である。ある日大学時代の友人達と4人で久しぶりに集まろうというので集まってみると、卒業後すぐに結婚し子どももいる専業主婦のよし乃とは話が合わず、もうひとり結婚して専業主婦になっているりつ子は何事かを悩んでいる、ナガセの近所でカフェを切り盛りしているヨシカもまたお金がない。
それからほどなくして、突然りつ子が子どもを連れてナガセのもとへやってくる。モラハラ夫と離婚したいが、行く先がないというのであった。りつ子親子はナガセの古いが広さだけはある家に居候し、ヨシカやナガセの母親とも交流しながら、離婚調停と求職活動を行うことになる。


読んで最初に思ったのは、こうやってでもなんとかやっていけるんだ、ということだった。今思うと何言ってんだという話だが、とりあえず卒業時に仕事が決まってなくてもその瞬間には死なないんだなと分かった。そのときは私も焦っていたのだと思う。周囲が周囲なだけに「内定決まったよ」とかいう友人や先輩を見てもナンタラ商事だの外資コンサルだのあるいはメーカーとか色々言っていて「そんなとこで死ぬほど働くなんて絶対無理」と絶望していた。大学生であった私には「働く」ということがどういうことなのか、全然予想がついていなかった。完全に己を見失っていたけども、『ポトスライムの舟』を読んで、そういうところで働くだけが「仕事」ではない、とやっと気づけたのだった。

 

それからは就活用の真っ黒な鞄に、『ポトスライムの舟』を必ず入れていた。

 

大学生のころはいろんなことを知らなかったし、知らなかったので興味もなかったなあと今思う。だから、ポトスライムの舟が芥川賞を取った時も全然ピンと来なかったのだ。働くことの困難も、賃金の低さも、女同士の友達との連帯も、全てピンと来なかった。今ならそれらの重要さはあまりあるほど感じるのだけど、今にならないと感じることができなかった。労働問題とか全然よく知らなかったしそれなので興味が薄かった。世の中にブラック企業というのがあることは知っていたけど、自分の身に迫った問題ではなかった。私自身がそういうところでバイトせずに済んでいたせいが大きいし、当時には私の家族や親類も幸運なことに関わらずに済んでいた。

 

就職活動というもの自体が、私が初めてぶちあたった社会の理不尽だった。外資コンサルなんてものが存在することさえ就活するまで知らなかったんですけど、皆いつそんなもん知ったの? そしてそんなところの内定を取ってきたひとたちを見ながら、私は地元の、イオンで交通整理やってる同級生や老人ホームで看護師やってる同級生とかを思い出した。この世には恐ろしい格差があるのだと、背中が寒くなった。
なんで女だけ「ワークライフバランス」とかいちいち質問せんといかんのか、なんでこんな真冬にスカートストッキングで外に出んといかんのかも一切わからんかった。
大学の、教職のために教育学部で受けた講義で、格差や男女差別の問題に対して「この社会の理不尽!」と先生が激しく憤っていたことを思い出した。それから文学部のドイツ史の先生がジェンダー論をやっていたことも思い出した。文学部の進学説明会で上野千鶴子先生が女性差別について強い言葉で語っていたのを取り巻いていた冷たい空気についても。私はあれらをもっと正確に、受け取っておくべきだったのだ。


働き出してみると、働いていくということは本当に本当に難しい、ということがわかった。ポトスライムの舟は私の周囲で確実に現実になった。
私が新卒で就職した会社では、まず現場職員の給料の低さに驚いた。こんな金額では到底都内一人暮らしなど不可能というもので、こんな給料でよしとされている社会やばいと思ったし、宮崎では相当いいとこと言われているところに就職した地元の友達の手取り額聞いたら相当低くてびびったし(東京の3分の2くらいでは…?)、本社の残業の多さと女性社員の少なさは思った以上にインパクトがあった。
これが日本の「普通」なのかもしれないが、毎日夜10時まで働くなど狂気の沙汰ではないか?私は農村で生まれ育ったせいか、都会の「サラリーマン」というものを身近で見たことがなかったんだけども、まじでみんな10時とかまで働いてる?まじで??
それがどうも「まじ」らしい、ということが分かってきた。ありえない、と思った。夜帰ってくると子どもは既に寝ており…サラリーマンの悲哀…みたいなのをよくテレビで見かけてはいたけどそら子どもになど会えるわけがない。10時まで働いてたら。そして誰かと結婚したりても両方が同じように10時まで働いていたら、子どもなど育てられるわけがない。ということは、どちらかが辞めねばならない。当然女が辞めねばならない。

そんな馬鹿な、と思った。私は、正直なところ、結婚で仕事を辞めるひとなど今時いないんじゃないかと思っていた。大変浅はかだったが、そんな昭和みたいなこと今時ないと思っていたんですよ。あった。全然あった。今時でも全然あるわ。ていうか物理的に両方とも働くなんて無理だわ。
私はこんなところでは到底働けまい、と即座に思った。

 

大学を卒業してみんな働きだして以降、心身を壊して辞めるということが周囲のひとに次々起きた。
同年代の親戚の男子は1年で東京の仕事をやめて宮崎に戻った。地元の集落に帰ると、心身を壊して撤退してきたひとが結構いる。そんなひとばかりだ。大学のときの友達も、1年で仕事を辞めざるをえなかった。


こんなとこでは働けない、と思ってから私は即座に転職した。転職できたことに、私の「経歴のよさ」が一役どころでなくかっているのは自明である。
自分の経歴で、『ポトスライムの舟』に共感を抱くというのは「おこがましかった」のではないか、とも、思う。
ゆうても私、東大卒だし両親がいて普通に働いていたし特に家庭内不和とかもなかったし、しくしくしたりもしたけど結局いわゆる「大企業」の会社に新卒で就職できたし、今転職して中小だけど毎日定時で帰っている。
うつ病になって退職し現在手取り年収163万円という状況に、果たして共感する「資格」はあったのだろうか。

 

例えばなんですけど「うちも田舎で~」と聞く大抵の場合私の地元よりは街なので「それは田舎じゃねえよ!!」と言いたくなったりしてしまう。心が狭い。すみません。徒歩圏内に店があるうちはまだ街なのでは…?とか言いたくなったりする。公共交通機関に自力で乗ってどこかに行けるうちはまだまだよ…とか言いたくなる。そういう気持ちが、あることを私は知っている。


一方で、津村記久子の小説に出てくる人々というのは、大体大卒とかでそれなりに仕事をしていて、びっくりするような金持ちとかインテリとかはいないけどもびっくりするような不幸もない。それはそれで「ある程度の階層」の話であるとも言える。「大学に行ける」という階層のお話。大卒の人々が就いている職業お話。それにみんな「日本人」だ。出自による差別とかは、その話のなかには見えない。
これは、「そうじゃない人々」にとっては単なる切捨ての物語だろうかと思うと、つらくなる。

 

あと最新作はそうでもないと感じたけど、特に『ポトスライムの舟』なんか読むと、特に苦労もせず結婚できて専業主婦になって子どももいて経済的にも割合恵まれているというような大学の同級生「よし乃」への描写はキツい。なんだか「分かり合えない世界のひと」という感じで、主人公たちの身に迫った苦労や悩みや金銭的な苦しさに比べて「何フワフワしたこと言ってんだ」みたいな突き放したような冷たさを感じる。
TLに現れる、電車に乗っていたら「妊婦何様だコラ」とか嫌がらせを受けた、という話を思い出す。この世の「恵まれている」んじゃないか、と見なした人々への冷たい視線が、こんなところにも顔を出す。津村記久子は女同士の連帯を書くが、やはり社会に蔓延るミソジニーにひょっこりと腕を掴まれている。

 

この世にはとにかく山ほど差別や理不尽があって、私が知っているものは少なく、私が普段は関心の外に置いてしまっているものはとても多く、私が共感できるものはものすごく少ない。
自分が直面していない差別や理不尽に関心を払わないでおきながら、ふと目についた自分に直接降りかかってきた差別や理不尽にだけ抗議の声をあげるとしたら、随分都合のいい話だし説得力もないなと思う。

私の不幸は、「所詮その程度」の不幸でしかない。

 

しかし、それだからといって「お前は不幸ではない」というのも変な話だと思うのは私の不幸がやはり「所詮その程度」だからだけど、でも、「その程度」の不幸でも、私はそれよりは幸福になりたいと思うし、「その程度」の不幸でも私はそれが終わって幸福になってほしい、と友人たちに思う。

 

以前にこちらのブログでこの記事の翻訳を読んだ。

yk264.hatenablog.com


確かに、まあそう言いたくなることも、ある、と思う。
これは、なんというか、違うかもだが、例えば二時間電車に乗らないと都心に出られない、不便だ、とか言ってるひとに対しておい待ってくれよ私の地元なんてそもそも公共交通機関がゼロだぞとか言いたくなる気持ちに、似ているのかもしれない。いや、違うか…

なんかこう「そんなおかみのこと、こちとら関係なさすぎて」みたいなことはある。言いたくなる。それを無下にはできない。
お互いを思いやってお互いを応援していきたいが、それができないような卑屈な気持ちにさせるほどの苦しさやつらさに、どうやって打ち勝っていったらいいのだろうか。

 


今回、冒頭にあげた『この世にたやすい仕事はない』のほかに、『ポトスライムの舟』の5年後を描いた作品であるという『ポースケ』も読んだ。

ポトスのほうでは、何かお金を稼げることで時間を埋めておかないと不安になっていたナガセが、ポースケのほうではピアノを習っていた。月謝を払ってピアノを習う、ということができるようになっていて、本当によかったと思った。ヨシカのお店もうまくいっていたし、りつ子の子どもの恵奈はちゃんと育っていたし、前はちょっともう分かり合えないなという対象だったそよ乃が、子どもが不登校になって苦労していて、そんなに遠い世界の住人というわけでもなくなっていた。ポトスのときのヒリヒリした焦燥感やただ生きるということの困難さが薄れ、ポースケの世界は全体に丸く優しく暖かくなっているようで、よかったと思った。

 

一方で、今もまだポトスの世界にいて、つらい、苦しい、誰かを羨ましがらずにはいられないひとたちがいる。上を見たらキリがないけども、ひとりでも、ほんの少しでも、ポースケの世界に進んでいけたらいい、と思うが、それすら多分傲慢なのかもしれない。
たとえどんな仕事でも、本当にどんな仕事であっても、外資コンサルでも、イオンの交通整理であっても、「この世にたやすい仕事はない」と言いたい。
「所詮その程度」の私が言えるのは、それだけかもしれない。

 

「所詮その程度」の不幸であっても、乗り切るのがあまりにも難しいことがある。
ただ働いて、明日の家賃や携帯代金やお昼のコンビニ代を捻出する、それだけのことが、本当に困難で、それすら達成することが本当に難しい。


日曜にお墓参りに行った。晴れていて暑かった。
この世にたやすいことはひとつもない、と思う。私にとってたやすいことは誰かにとってはとても難しい。
難しいことが、死んだら全くないのだろうか。
そうならいいと本当に思うんだけど。

 

 

 

 

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