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腐ハウスブログ

腐女子4人でシェアルームしてます。

腐ハウスの毎日とそれぞれの毎日

BBCシャーロックを見た話

くるくる

先日、ついにBBCシャーロックの「忌まわしき花嫁」を見た。
映画館で放映されたときから「同人誌だった」「すごい同人誌だった」という感想が流れていたけども、昨日実際見た感想はただひとつだ。すごい同人誌だった。

まず始まった瞬間からすごい二次創作感で、「ウワー!シャーロックとジョンがビクトリア朝のコスプレしてるよ!!!」と興奮したものの次の瞬間にそもそも大本がビクトリア朝だったことに気づく。あれ…?そもそもBBCシャーロックがもともとのシャーロックの現代パロディだったはずなのでこれは二次創作の二次創作の…んんん!?

なんかよくわからんけど認識が捻れて一周回ってビクトリア朝に戻ってきたようである。メビウスの輪的な…?

原作がビクトリア朝なんだぞ!!といくら自分に言い聞かせてもさめやらぬ二次創作感とともに見続けていると、なんかこう心の底から萌えの気持ちが湧き上がってきた。
はっ
これは、「このカポーのセックスが見たい!!!!!」という熱い気持ち!!!!


いやね、なんか最近「私もう腐女子じゃないのかな…?」とか思ってたんですよね。だって目下私の推しであるSHINeeちゃんを見ても全然そういう気持ちにならないんですよ。「わー……かわいいな………泣!(終)」みたいな。戯れる小動物を見て朗らかな気持ちになる的な。それ以上の気持ちが湧き出てこないんで、私もついにアイドルによって性欲まで昇華されたのかと感慨深い気持ちになってたんですけどそんなことなかったね。普通にあったね。

久々に腐女子の魂が体内で踊るのを感じつつ鑑賞を続ける。すると途中でいきなり現代版BBSシャーロックが出てきたではないか。
「同人誌かよ!!!!!!!!!!!」
と叫んだがそもそもこれは同人誌だった。どうやら現代のシャーロックとビクトリア朝のシャーロックはどこかでリンクしている世界らしい。特にひねりのない東アジアの人間である私は、疑問なしに「はー、生まれ変わりか~!」となんだその同人誌みたいな設定と思っていたがどうもそうではなくて、シャーロックのマインドパレスを通じでつながる深層心理的な…相互にシャーロックのヤク中の幻想みたいな存在であるらしい。どっちが現実かはわからないがどっちが現実でもあるかもしれないという。

なんだそれ、おい、すごいぞ(同人誌的な意味で)


いや生まれ変わりでもいいや。そういえばキリスト教圏の人間は生まれ変わらないのだろうか?よく知らんけどとにかくまあそれはよくて、とにかく「えーいリンクさせちゃえ!」ていうその萌えバットで薙ぎ倒す的感覚がすごい。BBCの予算でよくもそんなことやったな!!?
その後「頭を打ち抜いたのに生き返る…」という振りからモリアーティまで再登場する。クリームあんみつ苺バナナさくらんぼソフトクリームトッピング(緑茶付き)みたいな展開である。

ビクトリア朝の世界で展開していた殺人事件は、男性にひどい目に遭わされた女性達が結託して男ども殺したる隊を結成してやったことだということがわか…るのだが(わかったのか?結局この事件なんだったんだ?)、最終的に殺人を行ったのは被害者の妻である!犯人は、お前だ!とやったところ「何言ってんだよ~~ん」とウェディングドレス姿のモリアーティが現れそのままマインドパレスに誘われてしまった。結局犯人は誰だったんだ。

というか、何故あの女性達は謎の衣装で黒ミサみたいなのをしていたんだろうか。男にひどい目に遭わされた→男殺したるで団結成、というのはわかるとして何故あんなおどろおどろしい格好をしていたんだろうか。黒ミサで男の不幸と復讐の成功を祈っていたのだろうか。


あんまし関係ないけど私は、よく日本のミステリーにある「そんなこと、○○さんは望んでいませんよ!」というのが本当に嫌いである。望んでるかもしれないじゃないか。少なくとも、私は、もしなにかしら誰かのせい(と思われるような状況で)不幸な死に方をしたら、犯人にはこの世のもっとも残酷な方法で苦しんでほしいと思う。自分の友達や身内には復讐の念に燃えて自身の人生を無駄にしてほしくはないが、犯人には確実に復讐したい。貞子みたいに化けて出てむちゃくちゃな恐怖を味あわせたいね。

復讐を肯定するというより、なんか被害者の無念や悲しみがすっごい軽んじられてる気がするんですよ、「そんなこと○○さんは望んでませんよ!」ってそんな菩薩じゃないんだからさ、被害者がみんなそんな菩薩みたいなわけないじゃん?普通に無念だろ、酷い目に遭ったら。それとも死んだら全員仏になれる式の方向性なの?


社会的なマイノリティや弱者がどの属性からも酷い目に遭いやすい
→実際酷い目に遭う
→その悲しみや恨みを人殺しなどの不法な手段で晴らす
→人殺しはやはり人殺しなのだ…と宣告される
→被害者も修羅の道に落ちてしまったのだ…と泣き崩れる


といういつものストーリー、本当なんだかなあと思う。社会的なマイノリティや弱者はどこまでいってもそういう「つらいループ」から抜け出せないのかよ、と思う。その悲しみを、全部背負わなきゃいけないのかよ。蟻地獄なのか。

今回の忌まわしき花嫁は、別に本当に酷い目に遭った女性のその窮状をよくよく伝えたいとか別にそういうのでもなかったので、尻切れトンボな事件の終わり方も要はそこは問題ではなくて、シャーロックのなかの深いところにあった女性という存在への感情を表す演出のひとつだったのでしょうけど。
それが、「罪悪感」みたいなものだというのが、シャーロックが根本的に「いいひと」なのを表してるのかなあと思った。女性がどんな酷い目に遭おうが、それが社会的な不均衡の構造のなかで起きてることであろうが、「どうでもいい」と言えるような人間ではない、ということというか。「男」のひとりとしてその構造の上に乗っかってることを理解している、という意識のなかにさらにそういうことを知っていながら「どうでもいいじゃないか」と言えるモリアーティが立ち現れる、というのもまたなるほど、である。

そういえば「相棒」とか見てても、変人で有名な右京さんが「たとえ何があっても人殺しだけは絶対にいけない」という強固な信念を持っているのも結構謎だ。単にものすごく倫理的なだけかもしれないけど、ほかの色々な部分との整合性が微妙というか…なんでそこだけそんな倫理的なの?と思う。
いや倫理的結構なんだけど、ほかの部分では色々「こんな型破りしちゃうもんね」的なキャラクターなのにそこだけ妙に律儀なのでキャラのなかで浮いて見えるというかですね…なんだろう何がいけないんだろう…??

BBCシャーロックのシャーロックは、その辺の「揺れ」がうまいなあ、と思うんです。
「こちら側」、「殺人は悪」、と言える側に立っているけど、ぐらぐらと揺れててふとすると本当に「あちら側(モリアーティ)」に引っ張られそうな感じがある。
あとジョンも実は「あちら側」に容易に(しかも健康的に)行けそうな感じがあるのもいいですね!(いやていうか実際人殺ししてるし…?)いざとなったらシャーロックより簡単に行けそうだし、シャーロックと違って人格を保ったまま行けそうなところがよい。そういう人物だからこそバディでいられるんだよな~~~バディは対等でこそだよな~~~~だからバディものってやめられないのさ~~~~
※シーズン1第1話でジョンが銃を撃ったあのラストを見たとき、私はバナナフィッシュを思い出した。バナナフィッシュの何が悲しいってやっぱりアッシュがひたすら孤独なところで、英二はどこまでも彼の「対等な」友人ではなかったんですよ。つらい役目は全部アッシュが引き受けてて、英二は「守られる」存在でしかなくてそれがつらかった。天才的な主人公がいたとき、やっぱりそのバディとなる友人も同じように何かを背負わないと「対等」にはなれないと確信してるんですけど、わかってるな!!!!わかってるな!!!!!!!そうだよそうなんだよ!!!そこでピストルの引き金を引くのはジョンでなきゃ駄目なのさ~~~~!!!!!!!!!!!


とにかく世界一カネかけた同人誌っていうのが見終えた感想なんですけど、同人誌の醍醐味って、やっぱり「むちゃくちゃだけどとにかく萌えの情熱が大気圏を突破している」って作品があることだと思うんですよね!!?絵のうまさとか話のよさとかももちろんあるんですけど、とにかく「同人誌でしか出会えない」作品ていうのがあって、なんだこれ意味わかんねーーー!!!!!でもでもわかる!!わかるぞ!!!その高まる萌えをとにかく紙面(画面?)にぶつけたそのパッション!!!すげえよそのパッション!!!!!
ていう同人誌に出会うと「いやーーーーーやっぱ同人誌ってサイコーだな!」てなるんですけど、それだな。その気持ちでした。


それにしても私は自分の萌えポイントを再確認した。
「お互いに心の底から憎みあっている、世界中で無二に憎みあうふたり」
やはりこれだ!これが私のやおいスイッチ!!!!
~憎しみと愛は表裏一体~ これやな!!!!!!!


というわけで最後に、私のサンジ君からのゾロへの想いソングであるこちらを聴いてください…


宇多田ヒカル (Utada Hikaru) - Letters