腐ハウスブログ

腐女子4人でシェアルームしてます。

腐ハウスの毎日とそれぞれの毎日

誰かのことは永遠にわからない(けれども諦めたらそこで試合終了だよ)

昨日、私の地元の同級生が出産した。
集落で中学卒業まで一緒に育った、たった11人しかいない同級生のひとりである。去年に結婚した。結婚相手は隣の集落の材木屋の息子で、熊本市内の式場で行われた結婚式の折、その材木屋繋がりの出席者のおっちゃんが「○○君は材木色のスーツがよう似合っとるですが」と新郎を賞して言ったことが今も印象深く私の胸に刻まれている。材木色ってなんだ。(確かに新郎の衣装はちょっと茶色ではあった)

彼女は看護師をしており現在は町立病院で働いている。都会ではあまりないだろうが、高校から看護の専門課程を学び高校3年間+2年間の専門課程、合計5年ですぐに看護師になれる学校というものがいくつかあり、彼女はそこを卒業して看護師になった。ちなみに、11人しかいない同級生のうち、3人が中学卒業後その進路を選び看護師になっている。
結婚式には病院の上役も招かれており、「○○さんには本当によう働いてもらっとりますので、是非、結婚後も働き続けて欲しいと思っとります。新郎の○○君、そこんとこ、どうぞよろしくお願いします。」と挨拶のスピーチで言っていた。


同級生のグループのラインには、子どもが生まれるたびに生まれたての子どもの写真が上げられる。今子どものいる同級生は、11人のうち6人である。
5人の女子のうち、結婚して子どもがいるのは2人。二人とも、上記の専門課程で看護師になり地元に戻って働きながら家庭を持っている。結婚していない私を含めて3人は、私がこのように東京で大卒後事務員、もうひとりは高専を卒業後関東で技術者勤め、もうひとりは大学の看護学部卒後熊本の大きな病院で看護師として働いている。
看護師の世界でも学歴はめちゃくちゃものを言うらしい。話を聞くと、専門課程卒で20歳から看護師として働く2人と、大学看護学部卒で看護師として働く子では、待遇等にかなり違いがあるように感じる。

ちなみに6人の男子はというと、定職についている者が3名である。1名は上記専門課程で看護師になったあと、今は地元で働いている。なり手が少ないので大変重宝されている。地元の消防団にも入り、ますます郷土で大活躍の予感である。もう1名は高卒後自衛隊に入り全国の基地を転々と異動中、もう1名は福岡で介護福祉士。3人とも結婚して子どもがいる。残り3名はというと、1名は時々イオンで交通整理などをやっているが具体的な金銭入手経路は不明、しかし子どもは4人いる。もう1名は福岡でバイト生活をしながら格闘家をやっており、もう1名はなぜか先日突然ラオスに旅立った。ラオスでボランティアをやるらしい。


私が生まれ育った集落というのは九州山地の奥深くにあり、集落の人口はあわせて1000人に満たないと思われる。集落はさらにいくつかの部落に分かれている。
基幹産業は農業と林業、畜産である。山はすっかり杉山となっていて春には花粉を量産しているが、急速な過疎化に伴い山の手入れが追いつかないため、この先も花粉を量産し続けるであろう。
農業も同じようなもんで、そもそも山間なので機械が入れるような田んぼすら少ない棚田が山の斜面に広がっている。私も昔は時々手で稲の苗を植えていたもんですがもう何年もしていない。変わりにこうやってパソコン打って事務職をしている。
畜産は賭けみたいな仕事で、仔牛を育ててうまくすれば1頭数百万で売れることもあるがそうでないこともあるという感じである。
時々部落で猪罠をかけて猪を獲ったり鹿を撃ったりしている。それから蜂の子を食べたりする。そういう程度の田舎である。

この集落には保育園から中学校までがあり、私は中学まで集落から出ずに暮らした。
しかし、来春で私の卒業した小学校と中学校は、廃校になるそうだ。そりゃそうだろう。過疎化がさらに進み、今はもうひと学年に4人くらいしかいないそうなので。

私の同級生は11人である。
大卒は、私と看護学部卒の子と、11人中2人である。


保育園のときから中学まで本当にずっと一緒に育った、だってそれ以外にひとがいないので。私にとっては多分本当に兄弟のようなものかもしれない。実際に妹はいるがそれとはまた別の存在として。
そうやって同じ集落で時々道に生えてる草とか食いながら育った子ども達である私達だったが、今はそれぞれが違うところにいる。私は、この11人が何故今それぞれの状況にあるのか、それを分けたものは何なのか、時々考える。

何故私だけが東京の大学に行けたのだろう。中学卒業当時の11人の成績は、もちろん勉強が全然できない子もいたが、私と大して成績が変わりない子もいたし、11人という強制的少人数学級制でやってきただけあって、全員に指導が行き届いていた当時、テストの成績などは平均的には県の平均値を上回っていたと記憶している。

しかし私の地元の集落は通える範囲内に高校が無い。
ちなみに行政単位的には宮崎県なのだが、宮崎市までは車で片道4時間かかる。バスは最近廃線になったので、一番近いハブ的交通所まで車で30分行かなければそもそもバスに乗れない。電車はない。電車(汽車?)らしきものはあったのだが廃線になったので。トトロがいつ乗ってきてもおかしくない路線だったなあ…
車で40分ほど行ったところには小さな県立高校がひとつあるが、上記の通り公共交通機関がないので親の送迎もしくはバイク通学以外には通えない。
で、そんな立地なので集落の全ての子どもは高校から実家を出て寮生活か下宿生活をしながら高校へ行くこととなる。


そもそも大体集落のひとたちの稼業は上記のような第一次産業なので現金収入が少ない。
田舎の農村というのは現金収入が少なくてもなんとかやれるところがミソで、土地と家と畑と田んぼは持ってるから食費と家賃が都会に比べてだいぶかからない、ので多分都会の同額収入の家よりはかなりそれなりの暮らしができる。
が、教育となると話は別で、学費というのは米で払えるわけじゃないのでそこで現金収入がないと一気に不利になる。

もともと大卒はおろか親世代だと中卒も当たり前の親全員農家みたいな地域のうえにお金もないとあっては、大学に行こうとか思う子どもは稀だ。手に職を、と中卒の段階で皆思っている。
高校の時点で看護学科に進学した子が多いのは、明らかに地元でも就職できそうな手堅い職業に大学に行かずともなれるうえに、奨学金が出るからだった。都会の大病院から、卒業後そこで数年働くという条件で奨学金が受け取れる。
それからその他の私立高校でも、そんな風に卒業後提携先で数年働くという条件で奨学金を出してくれる学科が意外に多い。工業科とか調理科とか。
そういうわけで、ちょっと勉強ができる子達はみんなそういう学科に進学した。

その他そんなに特に予定なしや勉強がすきでなかった子達は、一番近いところにある公立高校に進学した。私立は奨学金が受けられなければ行けないし、となれば公立高校に行くしかないが近くの公立高校はたったひとつしかない。のでそこに行く以外の選択肢はほぼゼロである。次に近い公立高校は車で2時間かかるところにあるし、その高校にもひととおり工業科や商業科はあったので、わざわざ遠くの高校の同じ学科に進学する意味もない。
その公立高校は周辺の農村の子達の集積所みたいになっていて、過疎化で常に定員割れだったのでテストは名前が書ければ入れるという話だった。現にその高校に落ちた子というのは聞いたことがない。

そして私だけが、宮崎市内の進学校(公立高校)の普通科に進学した。何故か。
私だけ親が大卒だったのだ。たまたま。両親が大卒であれば子どももぼんやりと自分も大学に行くんだろうなということを考える。私はその典型例だった。特に何になりたいとも思っていなかったけど、本とか読むのは大好きだったし勉強自体も嫌いではなかった。
そして親が大卒だったので、親も「すぐ手に職がつくような」学科に行くようなことを進めなかった。とりあえず普通科に、できれば偏差値の高い高校に。私の親は、集落でほぼ唯一、そういう「偏差値」という物差しで将来を計る世界を知っていた。

当時私が普通科に進学、それもわざわざ宮崎市内の高校に、というのは結構「なんでわざわざそんなとこに」と思われていて、「東大にでも行くとや笑?」とか言われていた。私自身も、わざわざそんな高校にひとりで進学するからには、何かしらの成果は出さなければ意味がない、とはうすぼんやりと思っていた。だってわざわざそんなとこに進学するんだから。


私と同級生達の人生はそこでめちゃくちゃ分かれた。
私の進学先の高校は全校1000人を超えるマンモス校で、私はそこで人生初めての「隣のクラス」や「クラス替え」や「40人クラス」というのにだいぶ浮かれた。正直楽しかった。
漫画でしか見たことない「隣のクラスの○○君」というのが本当に存在するのがだいぶ楽しかった。同級生とは全然違う、「偏差値」の世界で生きている友人もたくさんできた。私は自分が「偏差値」の世界では結構評価されるほうだというのに気付いてそれも楽しかった。それまではたった11人のなかでしか生活していなかったから知らなかったが、全員が当たり前のように大学を目指している空間にいればもう当然のごとく大学を目指すしできたら偏差値の高い大学目指すし、ということで、下宿生活でテレビもないし家族もいないし暇なので勉強するし、わざわざ宮崎市内くんだりまで働く予定もなく出てきたからには集落の皆さんに認められるような大学に入らねばなどと思い、そんで東大を目指すことにした。

いくらなんでも我が家の家計では東京の私立には行けまい、ということは私にも分かっていた。だとしたら国立。東京の国立といったら東大だろ。たまたま、私には東京に住んでいる親類がいた。現役では受からなかったが、センター試験の成績で予備校の学費が免除になったのと、東京の親類の家に居候させてもらえたことで浪人ができた。そして無事に1年後進学できた。

今東京に住んでいて言うところのサラリーマンというものをやっている。
もちろん輝くような外資とかキャリア官僚とかマスコミとかそういう就職先じゃないので収入は至って並、看護師している同級生のほうが夜勤手当とかもある分収入は上だと思う。

一方の同級生たちはというと、農村の集落を離れて幾分かは人の多いところに行ったことで人波に揉まれ半分以上ヤンキーになったがなんとか高校は全員卒業した。そして皆就職。ひとり大学の看護学科に進学したのは、多分親御さんが看護師をやっていて、看護師の世界でも学歴がものを言うことを、よくよく知っていたからなのだろう。

別に東京に来ることだけが人生だけじゃないというのも分かっているつもりだし、既に子どもを持って郷土のなかに生きている同級生と自分、どちらが幸せとも決められない。
東大に行ったからって別に幸せになれる訳ではないということも充分知っているつもりだ。大学に行かなくたって「幸せ」にはなれるだろう。

けど、それでも私は時々考える。
私が今ここにこうやっていることと、地元の同級生達について。


先日、職場の上司と何故か進学の機会の平等みたいな話をする機会があって、その上司は都内生まれ育ちなのだが、「進学したい奴はみんな東京に来ればいいじゃん」と言ってはばからず、私は、都会のひとってみんなそんなじゃないとは思うけど、やっぱり少し悲しくなった。

私の同級生がどうして大学に行かなかったのか、行こうと思わなかったのか、行けなかったのか。
あなたが大学に行こうと思ったのは何故なのか、行かない選択をしなかったのは何故なのか。


周りに大卒がひとりもいなかったら。
実家から通える高校が無かったら。
実家から通える大学が無かったら。
大学に進学するお金が無かったら。
出自による差別があったら。

別に勉強をサボったとかそういう話ではなくて、それ以前にあまりにも多くの環境の差がそれぞれにあり、それは金銭的なもの、地理的なもの、それから出自のこと、あまりにもそれぞれで、多分大学に進学するということただそれだけのことにも、ものすごい大きな壁がある。

私はたまたま運がよかった。
あんな未だに道を牛が歩いているような農村に生まれ育ったが、たまたま親が大卒で、たまたま宮崎市内の高校に子どもを下宿させることができるくらいには家計が逼迫しておらず、たまたま東京に親類がいた。
たまたま、出自による差別に遭うようなこともないようにも生まれた。


私は歴史がすきで大学でも歴史を勉強したけども、実際のところ今の仕事にそれは一切役に立っていない。東大を卒業したに「相応しい」仕事に就けているかというとそうでもない。
それでも、大学に行って、勉強ができて、よかったと思っている。それは役に立つとか立たないとか才能があるとかないとかいう以前に、環境としての選択の問題だと思う。
そういうことが、周囲の環境のおかげで、「できたか、できなかったか」。


周囲に塾が全く無くて誰も大学を目指していなくて、そういう環境で果たしてどれだけのひとがどこまで大学に行けるだろうか。
私が東大で出会った友人達のうち、もしそういう環境で生まれ育ったらどれくらいの人数がそれでも東大に進学できるだろうか。
私の地元の同級生10人が、もし東京でみんな塾に行っていて家は標準的サラリーマンでという環境で育ったら、10人中9人が大学に行かないということはあっただろうか。

ほんの些細な運に左右されて私達の人生はあまりにもきれいに決められてしまっているように感じる。
「選べるか、選べないか」。
私と地元の同級生の生活を分けたのはただそれだけの、あまりにも本人にはどうしようもない環境の違いだけだ。
「東大に合格する」だけなら、受験勉強をめちゃくちゃやれば多分誰にでもチャンスはあると思う。「頭がいい」「才能がある」ことと「東大に合格する」という受験能力は全然別の話だ。

そして往々にして、大学に行かずにすぐに手に職をつけたいと就職したりすると、最終的に大卒のほうが生涯年収が高かったりするのだ。大卒の家庭ならそういうことはなんとなしに知っている。でもそうでない家庭なら、そもそもそんな将来に投資できるほど余裕がないかもしれない。ちょっと何年先の未来でさえ「想像して投資する」ことを選べるか、選べないか、選ぶことさえ思いつかないことも、ある。

私はたまたま運がよかった。
そして運がよくなければ、ただ運だけで、今の生活には辿りつけなかった。

そういうことを、私は上司に伝えたかったのだが、あまり伝わったようには思えなかった。
朝ドラの「あまちゃん」で、田舎生まれ育ちのユイちゃんが「私、東京がすき」と言うシーンがあった。
それに対して東京生まれ育ちのアキは、「東京って別にそんないいとこじゃないよ」と言う。
私はもうそこを見て「あーーーー!!!!」と思ったのだった。そうだよ、そうなんだよ、それそれそれだよと。

別に東京に行けば全てが幸せになるとか思ってないし田舎の幸せを否定なんて微塵もしないし、けどそういう話じゃない。
そういう「何が幸せか」という話じゃない。
そうじゃなくて、山手線に乗って友達と遊びに行くとか、すぐそこにコンビニがあってそこで学校帰りにお菓子を買うとか、クラス替えで友達とクラスが分かれて悲しむとか、そういう「体験」を「選択したい」のだ。
少年ジャンプを買うために親に頼んで車で20分のところにある個人商店に行かなくても、帰り道で買ってみんなで読みながら帰るとか、そういうことがどれだけ羨ましいか。
でも東京で出会った友人達にはよく「東京も別にそんないいとこじゃないよ」って何回も言われているから、多分きっと、嬉々として方言を使うアキちゃんにはユイちゃんの気持ちは分からないままなのだろう。

かといって、田舎全て滅べ、とも私は思わない。
私の田舎は旧弊な慣習に縛られた男尊女卑で現金収入の少ない貧しい農村でしかないが、それでも私にとっては「故郷」でもあり、私はそこを否定もしない。多分、否定しない気持ちも、分からないのだろう。嫌いだけど否定しない。二度と戻らないけど、滅んでしまえとも思っていない。
私がその田舎の「なかのひと」だからかもしれない。どれだけ東京に遠く離れて暮らしていても、私はその「集落の人間」で、外部の人間とは永遠に違う扱いを受ける。
東京で知り合った友人を、私の地元に連れて行ったことが何回かある。それなりにものめずらしく思ってもらえたかなあと思う。
でも、友人達に接する私の祖父母の姿やなんかを見ると、ああ、外用の顔だなあと思う。
私は「内」の人間なので「内の顔」を知っている。だから、多分否定することができない。
価値観を受け入れないことと、愛着というのはつくづく別のものだと思う。ゆっくりと滅んでいく私の集落、あと50年後には多分無人になるだろう。それを悲しく思うけど、でも私は二度とあの集落に戻ることもない。
私は東京で暮らしている。これからも暮らすだろうと思う。


多分、本当にわからないのだろう。
そして私にもわからないことがたくさんあるのだろう。

多分、私も、自分がマジョリティとして当然に享受していることについてはあまりにも鈍感に生活しているんだろうと思う。
駅の階段を苦もなく上り下りできることとか、特に違和感なく性別欄に「女」と書けることや、私のパスポートが何の葛藤もなく日本のものであることとか。
そういうことに、せめて、なんというか、「私は気付いていない」ということだけでも、思っていられたらと思う。