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腐ハウスブログ

腐女子4人でシェアルームしてます。

腐ハウスの毎日とそれぞれの毎日

昨日、話題になっている問題のあるレストランというドラマを初めて見てみたらのっけからつらすぎた。

くるくる

題名そのまんまなんですけども。つらすぎました。つらすぎて翌朝になってもリカバリーできなかったんですけども。

あらすじは私も前のところは見てなくてよく知らないのでウィキペディアをご参照ください。

問題のあるレストラン - Wikipedia

「男社会で理不尽な目に遭った主人公が、問題を抱えた女性たちとゲイによるビストロを開店し、ライバルの男性たちに勝負を挑むコメディドラマ」
らしいんだが全然コメディ感じなかったぞ。めっちゃつらかったぞ。
昨日の回は、二階堂ふみ演じる東大卒コミュ障喪女がメインであった。公式HPによると彼女は
「たま子の元同僚。東大出身の秀才だが、その実、融通の利かない勉強馬鹿。不器用で、実務はあまり出来ない。おまけにプライドばかりが高く、ビッグマウス。」
だそうである。つらい。


そもそもまずひとつだけ言っておきたいんですけども。
「東大卒=受験勉強しかできない融通の利かないコミュ障で実社会では使い物にならないやつ」という公式が結構どこででも見かけられますけども、あの、そんなことないですからね、いや自分がそうじゃないとかそういうことじゃなくて。
不肖くるくる、まさしく東大卒コミュ障喪女でしたが(現在進行形使ってもいいのかわからない。真性喪女以外喪女名乗んなと言われるとそうではないんだが人生20年以上喪女でそして一瞬だけ男と関わりましたがマジで碌なことがなく27歳現在やっぱり周囲に男性の気配ゼロ、付き合いたいとかいう気持ちもゼロ)、あの、なんで、確かにいるんですけど東大卒コミュ障喪女、毎日チェック柄のシャツとベージュのチノパンorジーンズandリュックサックのクソ冴えない東大男子(イカにも東大略してイカ東と言う)も、実在してるんですけど、確かに。

でもですね、そうじゃない東大生東大卒も山のようにいますからね当たり前ですけど。ウェイウェイで頭がよく恋愛を楽しみそして日本の大企業のみならず外資とかで羽ばたきまくってる東大卒めっちゃいるから。むしろ、そういう人たちは須弥山で生きているので下界にいる我々にはそもそも目に入る機会がめっちゃ少ない、てだけのことですから。
なので「東大卒=使えない」説については、そもそも使える東大卒は須弥山から降りて来ねーだけで須弥山に登れなかった東大卒はその時点で使えない奴だ、ってことは覚えといてくれよな!
学歴関係なく、須弥山に住んでいる人々は使えない人間であるわけないです。


大体が、東大内学生の男女比は8:2から7:3くらいだと思われるけども

数字で見る東京大学 | 東京大学男女共同参画室

本当に女子は少ない。本当に本当に少ない。私は文系だったのでまだマシだったけどそれでも少ない。文学部でさえ女子の方が少ない。理系などは本当に少ない。
世の中にはまだまだ「女は勉強なんてできなくていい」という考えがあるということが露骨に見えるこの東大の男女比からして、そもそもこの問題のあるレストランというドラマの根底にあるものと繋がっていると思う。大体進学校と言われる中高一貫校は男子校が多いし、私は九州・宮崎の公立高校の出身だが、周囲には「女の子は宮崎から出たら駄目」とマジで言われてる女子たくさんいた。それで、頑張れば九州大学にいけるような女子も結構宮崎大学受けてたし、「宮崎を出ても九州内まで」とかもあった。これじゃ東大にそもそもいきつかないよ偏差値とか以前に。まして宮崎は日本の最低賃金地帯、お金もないから都内の大学に子どもを送り出すこと自体難しい家庭も多い。いわんや私立をや。ジェンダーと地方格差の問題が絡まりあって大変なことになっているわけなんですが。

で、こんな状況によってあまりにも少ない東大卒女子って、まあ大体優秀ですよ。「女なのに東大に行く」というところを通り過ぎてきたんだから男子よりよほど。(何度も言うけど私のことは置いておいて)
因みに私の大学時代所属サークルの女子仲間の就職先はまあまあ絢爛たるものでした。
外資コンサル、日銀、国際研究機関、各メガバン、商社、その他大企業メーカー等。
そして彼女らには同じ東大卒やその他の彼氏いたよ。まあそいつがマトモな奴かどうかは置いておくとして。
ドラマ見ながら「やっぱり東大卒は使えねぇな」って言ってるテレビの前のおっさん、あんたらの目には触れることさえない場所に使える東大卒は山のようにいるからまあそこんとこヨロシクって感じである。
もし目に触れる場所にいながら「やっはり東大卒は使えねェな」って思ってるんなら、そこが須弥山じゃないか、あるいはあんたがただのセクハラパワハラ野郎なだけの可能性大だ。
そもそも須弥山には男も女も東大卒もしくはそれ以上みたいな人々しか存在してないからね。「東大卒は」という時点で東大が珍しい世界だってことはそこは須弥山じゃなくて下界である。それは「東大卒」が使えないんじゃなくてそもそも「使えない人間がたまたま東大卒」だったってことです。


ということをまず言った上で、しかし、しかし、そのとっても少ない女子の、とっっても少ない東大卒女子のなかに、まあ、いるよ。コミュ障喪女は。私のことだが。しかも二階堂=東大ちゃんはゆうて二階堂ちゃんですけど私の場合まあ、外見も推して図るべしですよ。

二階堂=東大ちゃんが就職面接でとうとうと語っていたけども、いやそもそもあんな語って受かって最終面接いけるわけないと思うけどさ。因みに私はリーマンショック後の就職活動で就職先が決まらず留年した挙句本当に60社くらい受けたけど受かったのは1社。因みに最終面接にいったのも3社。ファイティン^ ^!

セーラームーンのことを話していた。
二階堂=東大ちゃんは、セーラームーンごっこをするときに、セーラームーンを素直に選ぶことができずに最初から一番人気のなかったジュピターを選ぶような子供だったので、そこで「女の敵は女」っていうのを学んだらしい。

ところで私の記憶ではジュピターがそんなに余り物みたいな感じだったかどうか定かでないんですがどうだったんでしょうか。 

昨日この件とは一切関係なくセーラームーンの思い出を書いていたんだけど私の場合セーラー戦士を選ぶというより、グループのリーダーに「年長さんになったから、もうセーラームーンごっこみたいな幼稚な遊びをするのはやめよう」と言われて反論できず悲しかったという記憶である。それは女同士の戦いというよりは、「加齢」とそこに付随する「分相応な振る舞い」との戦いであった。

まあとにかく、素直にセーラームーンを選べずジュピターを選び続けた彼女にとって、オシャレや恋愛はセーラームーンであり、勉強がジュピターであったらしい。すきだからではなく、「セーラームーンを選べない私に選んだふりをして残されたもの」としての勉強。そしたらいつの間にか東大までいけたけど、皆にほめてもらえたけど、それって「女の子なのに変わってるよね」っていう視線が常に含まれていたと。
そして、気付いた。いくら勉強ができても、女は「男に選ばれなきゃ」価値がないということに。「選ばれない」女は使えない。男に勝った女は世界の中で永遠に敗北する。「私は永遠に勝てない」。

これ聞いててもう本当に本当に悲しくて、私も就活したりしたとき本当にそう思ったから。特に昨今の就活では男女ともになんだけども、「勉強ができるだけ」っていうのがこれほどまでに惨めなことだとは知らなかった。誰とでも友達になれるとか、思ってもいない志望動機を笑顔ですらすら言ってもどれだけ自分の本当の心を傷つかせないでいられるかとか、そういういわゆる「コミュニケーション能力」?あるいは「茶番力」。そういうのがない人間は結局社会のなかで全くもって惨めなんだと。学歴なんかはちっとも自分の身を守ってくれない。むしろ「東大卒」は「コミュ障」の証みたいな。今まで人間関係を築いたりすることを怠ってひたすら勉強、しかも本当に頭がいいわけじゃなくて「受験勉強」しかできないんでしょって証みたいな。
実際なんていうか「ちゃんとコミュ力があって頭もいい東大生」というのがいるのも知っているので、余計に「それに比べて自分ときたら」という自己嫌悪。
の、上にさらにのっかってくる、「あんなに勉強したって結局女の子はいい男と結婚できなきゃ意味がない」とか、「愛されない女の子には結局価値がない」とか、「20歳超えて今まで処女ってどういうこと」とか。
昨今の女子はビッチでも駄目だが処女でも駄目という最悪のダブルバインドに締め上げられており、人生なんとかして早いうちに一回くらいは膣にちんこ突っ込まないとみたいな、でも突っ込まれた後の女子はビッチって言われますし、その辺についてはもう津村記久子先生の『君は永遠にそいつらより若い』にもう心の底から同意して泣きながら頷きまくるほどに書いてあるのでそれを皆読むべし。君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

愛されないと価値がないけど、愛されるための努力は浅ましい。
処女じゃキモいけどビッチはごめん。
東大に入る努力より、馬鹿な女を演じる賢さを。

二階堂=東大ちゃんの極北にいるのが、彼女の元同僚の藍里という女の子である。いわゆるゆるふわ女子っつうかきらふわ女子っつうか職場のおっさん達のセクハラも「もーお、やめてくださいよ~^^」って流せるタイプの女子である。流せるように振舞う方向に賢さを発揮することを選択した女子。処女よりはビッチのほうが世渡りにおいてまだマシだと世界を見ている女子。

ふたりが険悪なのはお互いが「女の敵は女」と思っているからなのだが、喪女である二階堂=東大ちゃんの「私は使えない人間」というコンプレックスに比して、藍里=ゆるふわちゃんのDV彼氏遍歴もそれはそれで地獄なのでつらい。六本木ヒルズで殴られて蜘蛛のオブジェに頭をぶつけて負傷等頭にこれまでのDVによるハゲをもつ藍里=ゆるふわちゃんが、それでもなおゆるふわ路線を貫くのは、「それでも男に選ばれてるだけマシ、勝ってる」と思っているからだ。
いくら東大出たって、男には腕力では敵わない。どうせ敵わないのだ。なぜならこの世界の仕組みは男のほうを中心に回っているから。だったら敵わないことにエネルギーを使うなんて馬鹿げてる。それより愛される努力をすべき。だって愛されれば勝てる。何に勝てるのか。

見ててとんでもなく悲しかったのは二階堂=東大ちゃんが、ころっとクソ男にやられちゃったとこだった。
つらい。とんでもなくつらい。
少し自分に優しくしてくれただけで、少し嬉しい言葉をかけてくれたからって、初めて「女として」見てくれたからってただそれだけのことがそんなにも嬉しいって、でも喪女嬉しいんだよな。嬉しくてころっとなっちゃって東大卒でも勝てないし腕力でもどうせ勝てないし、だったら愛されたほうがずっとマシでそんでころっとなっちゃって「私も三代目のコンサートいきたい」とか突然言い出しちゃって最終面接も欠席。
なんとなく覚えのある感情に胸が本当に痛む。「選ばれない」ことに無限に苛まれる。「選ばれ」なければ、東大だって何にも役に立たない。
自己肯定感の低さに結局付け入られて「愛され」の沼に引きずり込まれるけど愛されない。永遠に愛されない。結局誰からも選ばれない。

二階堂=東大ちゃんも藍里=ゆるふわちゃんも、結局本当は「誰にも選ばれない」のだ。
「選ばれたい」と思うから、「選びたい」奴だけが近づいてきて、「選ぶ」ということの快感に利用されて結局傷つくのは自分だけ。
それなのにとっくみあって喧嘩をするのは、二階堂=東大ちゃんと藍里=ゆるふわちゃんであって、二階堂=東大ちゃんとクソ男でも藍里=ゆるふわちゃんとDV男でもない。
なぜなら男ととっくみあって喧嘩するのなんて無理だし、勝てないし、逆にやられちゃうし、だったら選ばれて、愛され方が、よほど。世界の中で永遠に敗北するより、女の敵の女に勝ったほうが、まだマシ。


もうつらくてつらくて見てらんなかったが結局見た。来週も見るかは分からん。如何せんつらすぎた。

二階堂=東大ちゃんはもしかして三代目J Soul Brothersをいっそ見にいったほうがよかったのかもしれないと思った。
そして三代目J Soul Brothersにハマりまくってクソ男の暗黒魔術から解き放たれたら、そのほうがまだよかったんだじゃないか、とか。
最近は三代目というのはだいぶアイドルアイドルという話だし。私SHINeeなら紹介できますけど。どうでしょうSHINeeSHINeeもとってもいいと思いますよ。


ともかくイケメンで躍動する肉体の男子達は遠くにいるがゆえに決して生身ではなく、女を傷つけないし。

半径50m範囲内がおつらみでも、遠くのイケメンはともかく遠いがゆえに、ひたすら都合のいい部分しか、みなくていいし、私たちは「選ばれない」し、逆に「選ぶ」ことすら、可能だし。あくまでも仮想でも現実で殴られたりうっかりセックスしちゃうより、全然素晴らしいというか。
現実逃避だって傷つくよりは、よっぽど。
「選ばれない」ことを恐れて自分を卑下したり安くしたりするより、よっぽど。

得意料理は肉じゃが教、浮気はバレなきゃいいんです教、殴られるのは私が悪いんです教。誰だって信じてもないことに組み伏したくはない。
二階堂=東大ちゃんは絶対にそれらを拒絶することでプライドを守ろうとしたし、藍里=ゆるふわちゃんは逆に自らに取り込んで「選ばれ続けるためには仕方のないこと」にしてプライドを守ろうとした。
プライドがなければ生きていくのは困難だ。
けど、「選ばれない」ことへの恐怖が、プライドを黒く塗りつぶしてしまう。心の底から肉じゃがを作って浮気はバレなきゃいいと思って殴られるのは私が悪いと思ってしまう。
肉じゃがの具になったプライドは、「選ぶ」という快楽にあっという間に食べられてしまう。


武内直子先生がつくりだし、幾原監督がスパイスを加えた「セーラームーン」という全ての女の子への物語が、こんなところで「女の敵は女」の文脈で語られるのはひどく悲しい。セーラームーンは私達に「女の子としての振る舞い」を教えたのでは決してなかったはずなのに。セーラームーンが私達に教えたのは、「女の子の強さと自由」であったはずなのに。
最後にセーラーギャラクシアを抱きしめたセーラームーンを思い出してよ。あるいは宇宙最強のセーラー戦士となったセーラーコスモスのことを。疲れ果ててもそれでもまだ闘える。
私達は本当は最強になれるはずだ。誰よりも。


タキシード仮面様というのは、イケメンで優しくて一応強くて頼りにはなるが、ここぞという自分が闘うべき場面においては決して「僕が君を守るから君は下がっていて」などと言わずに、ちゃんと引っ込んでくれる存在。因みにきちんと望むように性欲も満たしてくれるという優れものである。彼は決して、セーラームーンの人生を邪魔しない。
そしてセーラームーンは世界を救うし、全てを救うし、自分も友達も皆幸せになる。最強を手に入れる。
大人になってわかったことは、タキシード仮面様みたいな、そういう都合のいい存在は、現実の女にはいないということだ。
代わりに、女が「都合のいい存在」にならなければならない。そうすることが生存戦略になってしまうから。


本当はセーラー戦士同士で闘ってる場合じゃない。
倒すべきはそこじゃない。
女の敵は女じゃない。
私のことを誰にも選ばせなどしない。


「だれでもみんな胸の中に星をもっているのよ。そう。そして胸の奥があついのは、星が輝いているしるしなの。」


誰かに都合のいいようにはならない。
私の中の星のために私がいるから。


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