腐ハウスブログ

腐女子4人でシェアルームしてます。

腐ハウスの毎日とそれぞれの毎日

春になったら私たちは


私は1987年生まれの今年で31歳になる人間だが、覚えている一番古い「芸能人の死」はX JAPANのメンバーの方の報道である。今調べたら1998年のことだそうだ。ちょうど20年前。
特にバンドとかに興味があるような子どもではなかったので当時誰のことかはよく知らなかったのだが、とにかく連日テレビでやっていて、テレビの画面に映る嘆き悲しむファン達の姿を覚えている。


昨年12月にジョンヒョンさんが亡くなった。

テレビでは、葬儀場に駆けつけたファン達が彼を悼むため長い行列を作っているのが報道されていた。それで思い出したのが20年前のあの映像だった。
私は現場には行かなかったのであの行列に私がいたわけではないけれども、20年前に見たあの映像と同じようなことが、自分自身に起こるなどとは考えたこともなかった。そう思った。


その日は、私がここ数年通っていた社会人大学院の修士論文の提出日だった。私は修士論文を提出し、本当にほっとして、それから家に帰るところだった。電車のなかでツイッターを見ていたら、突然、多分私がフォローしているKBSのアカウントからだったと思うけど、「샤이니 종현, 숨진채 발견」という速報が流れてきた。
それが、韓国語での誰かが亡くなったときのニュースの決まった言い方であるというのは勉強して知っていた。直訳すれば「亡くなったまま発見」とでも言えばいいのか。しかし、一瞬意味がわからなかった。「は?」と思ってそのままツイッターを更新し続けていると、10分も経たないうちに今度は日本語のニュースが流れた。「SHINeeジョンヒョン、遺体で発見」。最初に見たのは多分聨合ニュースの日本語版アカウントだったと思うけど定かではない。今度こそ意味がわからないわけないのだが、それでも意味がわからなかった。「まじでか」などというしょうもない言葉しか出てこなかった。
TLはものすごい大混乱になった。嘘でしょ、と皆が言っていた。亡くなったという報道は誤りで、病院に運ばれて今治療中なんだという話もなされていた。本当にそうならいいけれど、と思いながらツイッターにはりついていた。しかし夜10時くらいになると、KBSかYTNで「遺体で発見」などと言っているニュースが流れ始めていた。その時点で、私は、ああ、本当なんだ、と思った。ちゃんとした、と言ったら変だが、そういう専門の通信社が流すというのだから、多分本当なのだ、と。英語や日本語でもニュースがばんばん流れていった。私がフォローしている、SHINeeとは関係のないアカウントの人たちがそれらを見て、「え、私のフォロワーさんにもファンがいるのに…」などと次々驚いたりしていた。哀悼のメッセージを発する人が増えていった。ファンはそれでもまだ、一縷の希望を託してSMエンタの公式発表を待った。しかし日付が変わって少し経った頃だったか、ついに発表があった。それは間違いなく、彼が亡くなってしまったことを伝えるものだった。

ジョンヒョンさんの友人のナインさんから、彼から預かったという遺書が公開された。亡くなるほんの一週間前に彼はソウルでソロコンサートを開催していた。その前に彼から預かったという。死んだら公開してほしい、と言われていたそうだ。内容は、非常に苦しさが伝わってくるものだった。彼女もこんなものを渡されてそれは困っただろうな、とうすぼんやりと思った。こんなものを預けられて、でもその後にちゃんとソロコンサートもやっているわけで、まさか本当をこれを公開することになろうとは、その最悪の想像は、なかなかつかなかったんじゃないだろうか。勝手に推し量るのみだが。
ジョンヒョンさんは、お姉さんに最後のメッセージを送った、と伝えられている。それを受け取り、慌てて通報し、そしてその部屋で彼の姿を見つけた、そのときの感情は想像してあまりあるものがある。

葬儀が執り行われながら、私は韓国ではこういう風に葬儀をするんだなあ、と初めて知った。ネットで色々調べたりもしてみて、日本のやり方とはずいぶん違うことを知った。
弔問に訪れる同じ事務所の私たちファンにも馴染みのある面々や、その他芸能人などが続々とニュースで取り上げられた。そしてファンの長い列。遺影のなかのジョンヒョンさんは柔らかく微笑んでいた。たくさんの人が嘆き悲しんでいるその場所で、写真の中の彼だけが笑っていた。
喪主、というのが韓国にもあるそうだが、そこにSHINeeのメンバーの名前が並んでいた。何度見ても現実感が無かった。メンバーが死んで、その喪主にメンバーの名前が並ぶなんていうのが今あっていいはずがない、と思った。そういうのは、彼らがジジイになって、私もババアになって、そういう歳になって、往時を思い返して懐かしみながら「今でも喪主をやるくらいなんだなあ、そういうグループだったんだなあ」なんて思いに浸りながら偲ぶときにあってほしかった。それが今起きているだなんて信じられなかった。だってまだ全員20代なのに。

ニュースがあってから葬儀の間、SHINeeのメンバーを見ることはなかった。出棺の日、彼らはカメラの前に現れた。位牌と棺を抱えたメンバーの姿は、このうえなく憔悴して見えた。メンバーの位牌を持ち、棺を抱えたSHINeeの姿を見ることがあるなどと想像したこともなかった。いつも華やかに笑っていた彼らの、萎みきった背中は相変わらず現実感が無かった。何かドラマの一場面なんじゃないかと何度も思ったが、しかし本当だった。
同じようにいつも華やかな笑顔ばかり見ていた少女時代やスーパージュニアなどのメンバー達もそこにいてジョンヒョンさんを見送っていた。誰もが、本当に言い尽くせない悲しい顔をしていた。遺影のなかのジョンヒョンさんだけは、変わりなく優しく微笑んでいた。当たり前だった。彼の時間だけが、もうそこで止まって動かないのだから。

 

 

このニュースの前に、SHINeeの日本でのドーム公演が既に告知されていた。オニュさんの兵役前最後の公演だ、と予め銘打たれていた。

こんなことが起こるとは全く思わない、2017年の夏、ひとつ事件があった。オニュさんがセクハラ容疑で逮捕されたという事件で、このときも目撃情報などが錯綜し、結局日本で言うところの書類送検的なものになったらしいのだが、司法のことはよくわからないし更に外国の司法はもっとよくわからないしで結局どうなったのかよくわからない。
オニュさんを脱退すべき派、それでも私は彼を信じて待つ派などファンの間もごっちゃごちゃになりツイッターで誹謗中傷も含めた議論が巻き起こった。日本では待ってるよ勢が優勢に見えたが(それもどうかと思うが)、韓国では脱退して4人派も結構多いように見えた。ネットでしか見てないからよくわからない印象論でしかないんですが。#MeTooが世界的に盛り上がっている昨今であるし、彼への批判はもっともなものである。
私は態度を決めかねた。脱退しろとまで言うことはできなかったが、しかし自分が全く知らないグループだったら「最悪だな、永久に芸能界に戻ってくるな」とか言ってたと思う。私はかくもダブスタな人間だった。

とりあえず彼はしばらく活動を自粛する運びとなり、9月のドーム公演は彼無しの4人で行われた。その後もこれからどうするのかよくわからないまま情報は無く、時間は流れた。そして前述の、オニュさん兵役前最後のコンサートというドーム公演が予告された。
私は行くのを迷っていた。このままオニュさんの件がどうなったのかよくわからないまま行って前と同じように声援を送ることが「正しい」のかわからなかったからだ。私は普段性暴力には絶対反対の意見を明確にしている。そんな容疑がかかった(もしくは既に解決済みなのかさえよくわからないのだが)メンバーに声援を送ることが許されるのか、果たして。ていうか多分許されないんじゃないかと思った。本当ならば行かないでいるべきだと思った。しかし実際兵役前最後と銘打たれているわけで、これが最後になるならやはり行きたい気持ちもあった。
一体どうしたものか、と考えてチケットの申し込みをしないでいるうちに、ジョンヒョンさんのニュースが飛び込んできた。

 


公演は中止になるかなと思っていたが、決行されることになった。メンバーの直筆のメッセージが公開された。予定通り開催することについて、ミノ君が、「どれが正解であるか僕たちにもまだわかりません」と言っていた。私は最終日だけ行くことにして、友達とチケットを取った。
そして迎えた当日。
京セラでの公演が既に行われていたので、大体の内容は聞き及んでいた。私は上記のようなこともあったうえのこれで、正直言ってもうSHINeeのコンサートに行くのは最後になるんだろうなあと思っていた。こんなにたくさん色んなことがあって、それでもなお以前と同じように彼らに声援を送ることは不可能だろうと思っていた。もしかしたら泣きさえしないかも、と思った。

しかし始まってみるともう最初に、なんか画面に宇宙みたいな映像が流れた瞬間から既に泣いていた。まだ本人達の映像すらまだ映ってないのにもう泣いてるよ!と自分でも思ったけど、回りからも次々にすすり泣きが聞こえてきたので多分私だけではないと思う。
メンバー4人の姿が舞台に、証明に照らされて現れた。ああ、4人なんだなと思った。そしてこれが5人になることはもう本当に永久に無いんだと思うと、とにかく悲しかった。

演出は非常によく考えられていたと思う。最初はかなり抑制的で、彼を悼む雰囲気で満ちていた。何曲か歌って、完全に生歌でしかもジョンヒョンさんのパートが各メンバーにきちんと割り振られているのがわかった。ダンスも4人でやっていて、これらを練習するのに一体どれほど大変で、そしてつらかったかなあ…。メンバー達はいつもどおり「輝くSHINeeです」と挨拶した。いつもと同じなんだけど、ああこれももう4人で言うんだなあ、と感じざるを得なかった。
その後にはジョンヒョンさんを悼むコーナーが設けられていた。彼の曲である「하루의 끝」が流れ、画面には彼の写真とともに彼へのメッセージが流れる。日本語と、ちゃんと韓国語でも流れていた。在りし日の姿、という言葉を使うのはあまりにも早い気がするが、そうとしか言いようが無い画像が次々と移され、ドームには泣き声が満ちた。映像の後には、ジョンヒョンさんのパートはそのまま彼の歌声が流れる様式で、バラードが歌われた。彼の声が流れるたびに、この声の人はもうこの世にはいないのだというのが改めて、信じられないなあとしか思えなかった。歌の途中にミノ君が「ジョンヒョニヒョン!!」と叫んだ。ファンは皆、文字通り号泣していた。よく「号泣する」と言うが、本当に本当に号泣する姿を、しかも一度にこんなにたくさん見たのは、私は初めてだった。

こんなに皆悲しんでいてとてもじゃないがコンサートを楽しめるわけがない、と思ったけども、曲順や照明などで段々と楽しい雰囲気も出てきて演出の気球が飛ぶ頃には笑いも結構起きていた。それで初めて思ったけど(今更)演出ってすごいですね。
それでもやはり、最後にはやはり皆泣いていた。SHINeeの名前を呼ぶ会場の声ば、一番最初の東京ドームよりも大きかった。ヌナンノムエッポが合唱になったときは本当に涙が止まらなかったし、そしてダブルアンコール、最後の最後、聞いていたとおり、五つのマイクが浮かび上がる舞台で四人が歌う声、そしてぽかりと空いた真ん中の空間、マイクにつけられた一輪のバラと、録音されていたジョンヒョンさんの歌声が、誰にも埋められないその位置を、これまでの何より表していた。彼の歌声はのびのびと明るく、優しく、響いた。改めて、彼はこんなにもすばらしい歌声だったのだと今更ですが、思った。こんなに歌がうまい人にはもう出会えないんじゃないかと思った。歌が終わった後には、本当に文字通り、嗚咽があちこちから聞こえた。あんなにたくさんの嗚咽を一度に聞く機会も、もう無いと思う。
私はずっと歯を食いしばっていたらしく、今日までずっと歯というか顎が痛い。


今回全くトーク無しで進んだこのコンサートにあった最後の挨拶で、オニュさんが、「祈ります」と言っていたのが印象的だった。
この世には、誰にもどうすることもできない、どうしようもないことがある。だから、こうしてほしいとか、こうしてくださいとか、こうしたいとか、相手にも自分にも何も確約できない。そういうときは多分祈るしかないのだと思う。何に対して祈るかはそれぞれによると思うけども、とにかく、祈るまでしか、言うことができない。
SHINeeはもう、こうしたいとか、こうしてほしいとか、そういうことが言える世界にはもういられなくなってしまったのだと思った。
代わりに、もう祈ることしか、できない。自分の手にあまることが起こる世界では、こうあってほしいという希望はそのまま口にすることができない。ただ祈ることしかできない。誰に対しても、自分に対しても。

ミノ君は「強さが正解ではないとわかった」と言っていた。太陽のようにひたすら明るかったミノ君が、こんなことを言うなんて、と思わずにはいられなかった。
「お姉さんはとてもきれい」と歌っていた少年達はいまや…というのが、記事でよく使われるSHINeeの枕詞だった。子どもだった彼らはいまや立派な大人になって、というわけだ。
しかし、お姉さんはとてもきれい、と歌っていた子どもだった彼らがたどり着いた大人の世界が、こんなにも影を背負ったものだったとは、と考えるとやりきれない。
子どもから大人になる間に、多分誰でも、それなりに自分ではどうすることもできないことを知って、少しずつ何かを諦めたり妥協したりししてどこかしらに影を負うものだと思うけど、それでも、彼らに降りかかる影がこれほど大きくつらく悲しいものになるだなんて誰も思わなかっただろう。

SHINeeは完璧なアイドルだと言われていた。不祥事的なことと最も遠いと思われていたグループに、まさかこんな最大級の衝撃が起こるなんてなあ、と思う。
最も「完璧なアイドル」に近いと思っていたけれど、完璧なんてものがこの世にあるはずはなかった。それは、一瞬でも気を抜けば砕け散るような薄氷の上に立てられた砂の楼閣のようなものだったのだ。それほど、ありえるはずのないものだった。そんなことも知らずに、彼らのことを最も理想に近いアイドルだとずっと思っていた私は、ありえないものを彼らに投影していた。
しかし、彼らもまたその投影に確実に応えようとしていたのだと思う。「完璧なグループ」だと言われれば言われるほどに、それに絶対に応えたかったんじゃないか。しかしそれは、やはり人間には無理なことだったのかもしれない。少しずつヒビが入っていって、そして粉々に砕け散ってしまった。
「戻ってきます」とオニュさんは言っていた。この砕け散った欠片が散らばるここで、もう一度新たに城をつくりなおすのは、並大抵のことではないと思う。
城などつくらなくてもいいと思う。そのほうが楽ならそのほうがいい。ただ、城をつくらないでいるよりもまた城をつくりたいというなら、もう黙ってそれを見届けるほかないと思う。


こんな彼らの姿を見てしまったら、もうこれが最後だなんて言うのは無理だなと思った。これからも応援「しなければいけない」と私は思った。おこがましい言い方かもしれないが、ここで彼らを「見捨てる」なんてとてもできない。
オニュさんの事件のことは棘のようにひっかかっているのですが、もう駄目だと思った。この棘はもう刺さったままでいいからそのまま行こう、というような気持ちになっている。
だから私はこれで本当に正しいことはもうできない。
けど、それなりの反省と社会的制裁を受けたなら復帰も可能、ということであれば、制裁はもう十分受けたという気もしてしまうんですよ。それとこれとは全く別だろう、ちゃんと反省したのかよ、とかもう言おうと思えばいくらでも言えるんだけど、なんかもう、あの姿を見たら、言えなくなってしまった。
とはいえ、実際次の活動がどういう形で、そもそもあるのかさえ、よくわからないですが…。

 


SHINeeのファンになったのは2013年の12月だった。最初に彼らを見たのは、2014年1月の香港。ファンになって、すぐに香港に行くことを決めた。
それからほぼまる4年。もっと前から応援している人達に比べればひよっこである。たった4年、一方的に見ていたただの他人であるファンだけど、それでも悲しいものは悲しい。
もっと近しい人達にしてみれば、やりきれないことばかりだろう。


それでもこうして、こういう儀式を通じて、ファンは少しずつ気持ちを切り替えていくし、残された人たちも、少しずつでいいから、また新しい気持ちをいつか持てたらいいと思う。
そういう気持ちが持てなければあまりにも悲しくてやりきれないから。
けれども、一人で死んでいったジョンヒョンさんのことをふと考えてしまう。彼はどれほどつらく悲しく、苦しかったのだろうか。
傍目にみれば、売れているし、成功しているし、お金もあるし、家族とも関係はよく、友人もいて、メンバーとの関係もそれこそ死んだら喪主をするようなそういう関係で、才能もあって、外見もよく、そういう人が、ただその人本人にとっては、つらくてつらくて苦しくて仕方がなかった、ということが、ただ、悲しい。

彼が亡くなってから、数年前に死んだ友人のことをずっと思い出していた。彼女もうつ病だったし、まだ亡くなる前のことだが、彼女が死のうとしたことが一度ならずあったということをたまたま知ったときはものすごい衝撃を受けた。そこまで知っていたけど、それでもいきなり死ぬことがあるとは思っていなかった。働けていないことを気に病んでいた。私は、「こういう仕事ならできるかもしれないよ」というような話をよくしていた。具体的な求人情報を添えたりして。今思えば、そういう言葉のひとつひとつが彼女を追い詰めたのだろう、と思うが、今更後悔しても遅い話である。
ある日、彼女のご家族から連絡があり、彼女が死んだことを知った。私は今年でもう31歳になるが、彼女は永遠に30代になることはないのだな、と時々思う。

本当につらく苦しく、悲しかったのだろう、ずっと。死んで、今はもう、つらくも苦しくもなく、悲しくもなく、穏やかで豊かでいられるのだろうか。そめてそうであってほしいと祈らずにはいられない。私は確たる宗教をもっていないし、彼女が何か信仰していたのかも知らない。死後にどう祈るべきなのかわからない。
とにかく、もうつらいことなどまったく何も無いようであってほしい、とだけ思う。ジョンヒョンさんにも、とにかく今は、それだけを、祈ることしかできない。


学生時代、友人と、就活がつらいといってはよく会っていた。ちょうどリーマンショックが起きた後で、就職活動は厳しかった。今は状況は結構よいと聞く。内定が出たら鰻を食べようと約束していて、新宿で鰻を食べたなあ、と思いだした。そういえばその頃は、まだ鰻が絶滅するみたいな話はそこまで言われていなかった気がする。
友人と鰻を食べたお店にはそれ以来行っていない。

春になったら私たちは、どうなるのだろうか。春になったら、新しい季節が始まって、時間はどんどん過ぎていくんだろうか。そうして過ぎていくなかで新しい気持ちもどんどん育って、次へ次へと進んでいくことができるのだろう。ただ、もうそこにはいない人達は、同じ時間では歩いていくことはない。そうであれば、季節の巡りよりももっと穏やかな場所にいることを祈る。

春になったら、私はとりあえず、友人のお墓参りに行こうと思う。

 

 

 

推しに不祥事があり具体的にいうと性犯罪の容疑です

自分の推しグループにこんなことが起こるとは、ついぞ思っていなかった。
まさかの現行犯逮捕。容疑はつまるところ痴漢である。
法律用語や日韓の司法の違いもよくわからないのでこの辺についてはどういうことなのかよくわからないが、現在は多分書類送検的な状態になっているっぽい。
被害者は訴えを取り下げたが、韓国ではセクハラ事件は非親告罪になったため、取り下げとは関係なく捜査は続行中とのこと。
※この辺は本当によくわからないんでだいぶ違ってるかも、すみません。


ニュース記事などによると、クラブで泥酔し女性の特定部位を触った疑いだそうです。本人は否認しているのか酔っていて覚えていないと言ってるのか、大体そんなところらしい。
監視カメラからは死角になっていて映像証拠は無し。
ディスパッチ(韓国の文春砲的なやつ)に現場の目撃証言が載っていたが、それによるとものすごく泥酔していて前後不覚の状態であり柱と間違って女性の足を掴んだのでは、ということであった。しかし、それを「真実」だと信じ込むには微妙なところだ。
事件から一ヶ月、9月には東京ドーム公演と京セラドーム公演が計画されていたが、どちらも彼は不参加ということになった。
日本公式からの連絡では「本人の反省したいという意思で」ということだったが、これも真実はわからない。もしかしたら捜査中は国外に出られないのかもしれない。

 

先日の東京ドーム公演には一応行った。
今回のツアーの演出が個人的にあんまり微妙だったのに加えてまさかアリーナとほぼ同じ内容でソロコーナーもなく終わってしまったのは、メンバーが1人欠けていたのを置いておいてもちょっと、ちょっと!!!という感想だった。しかしこれももともとそうだったのか、今回メンバーが欠けてしまってそうなったのか、どうだったのかよくわからない。
彼の歌のパートのところはどうするのか、他のメンバーが代りに歌うのかと思っていたが、そのまんま彼の歌が音源で流れた。彼の声がドームに響き渡るたびにものすごいいたたまれない気持ちになった。

最初はちょっとやらかしてしまったな、というくらいかと思っていたが、ことはもしかすると思ったより深刻なのかもしれない。というか、私の認識が甘かったのかもしれない。
韓国側の一部では(韓国語が不得手で韓国のファンダムの規模感もよくわからないので、これもどれくらい一部のことなのか分からない)、最早脱退しかない、というような動きもあるようだ。
私が一番ショックだったのは、ドーム公演でテミンさんが「今度は5人で…」的なことを言ったことについて、性犯罪者を擁護するな、という意見があったことだった。そんでもってそれに対する擁護が、「運営の用意したカンペを読んだだけであって本心ではない」という方向だったのも。


酔って前後不覚であったなら今回はまあ大目に見てもよいのか。実際どんな風に触ったのか。それは故意であったのか、それとも前後不覚で本人は全く覚えが無いものなのか。実際どうだったのかは全然わからない。
ディスパッチの目撃情報によれば情状酌量の余地がなくもなさそうに思えてしまうが、そもそもこの、酔って女性の身体を触ったということ自体、果たして許されるものなのだろうか。

この国に居住するほとんどの女性は人生に1度は痴漢された経験があるといっても過言でない痴漢大国ジャパンである。最近は痴漢冤罪がよく話題になるが、要するにそれくらいに痴漢は「ありふれて」しまっている性犯罪ということだ。被害者になることも、加害者になることも、「ありふれて」しまっている。
あとお酒にも甘い。外国がどうだかは知らないが、日本では酒の席で酔ったうえでのセクハラ、というのは、通常のセクハラに輪をかけて許されがちだと思う。酔っていたから仕方ない、本気で怒っても仕方ない。真面目にとらないで受け流すべし。酒+セクハラの二重の緩さである。
よう考えたら酒の席で酔って上司に「バカヤロー」とか言っちゃったらそれは全然許されない気がするので、要はナメられてんだろうなあ、女っていうのは、と思う。部下が上司を罵倒することは許されないが上司が部下を罵倒するのはなあなあに許されてしまうのと同じで、罵倒してもセクハラしても許される格下の存在だと、つまりはナメられてんだな、と思う。

いやー、自分の身に置き換えてみたらほんといい迷惑だよね。酔って身体触られるとか最悪ですよね。いくら酔ってたからって本当に嫌だ。
実際のところが全くわからないのでなんとも言えないけど、やっぱね、駄目ですよ。酔って女性の身体を触るとか絶対駄目です。最悪です。


ツイッターをチェックすると、結構な頻度で「クラブなんかに行ってた女が悪い」とか「有名人だと思って女がハメたんでしょ」とか「むしろ触られて嬉しかったんじゃない?」みたいなのが出てきてそれが一番つらい。
自分が被害者になったときにそんなこと言われてみろよ。もう立ち直れないよ。同じ女にそんな風にお前が悪いなんて言われたらもう本当に立ち直れないよ。
大体クラブがそんな危ないところなんかどうか私は行ったことないんで知りませんけども、どこにいてどんなカッコしてたって、とにかく触る奴が100%、1,000%悪い。

 

私だってSHINeeのファンなので、オニュがそんなことしてないと信じたいですよ。正直言って、ファンとしての私は「今回はしっかり反省して、謹慎したらちゃんと戻ってきてほしい」と思っている。ここでSHINeeが終わってしまったり、4人になってしまったりするのは本当に悲しい、と思っている。
そもそもアイドル完全にアイドルが第2,3世代とかになってきて、SHINeeはそもそも最早アイドルとしての第一線からは退却している。防弾少年団とかの華々しい活躍の話を見かけるたびに苦しくなる。SHINeeは一体どうなるんだろうか、と考えずにはいられない。
彼らの活躍の場は狭い。人気というふんわりしたものに支えられている彼らの人生は、この先どうなるのだろうか。そんなことばかりをここ半年ほど考えていた。そこへきてのこれである。
彼らの不安定な足元や将来のことを鑑みれば、待ってるよ、しっかりして、と言いたくなる。


けども、果たして「待ってるよ」と言うことは許されるのだろうか。それは果たして許されていいことなのだろうか。
人間誰しも過ちはある。社会復帰の道は用意されてしかるべきだし、それが必要だと思う。けども、それじゃあそのとき被害者はどうなるのだろう…?と思うと、一体どうしたらいいのか分からなくなる。こういうのはまたきっとこれまでに山のような議論があり、様々な専門的な意見があるのだろうと思う。私が今ここで知りたいというか、考えていて、それでもわからないので誰かに教えて欲しいとすら思うのは、アイドルファンとして、性犯罪の容疑のかかったメンバーを、待つと言っていいのか、ということである。

 

待ってるよ、とか今回は仕方ないよ、みたいな言い方って、被害者からしたらとんでもないと思うんですよね。私ならふざけんなと思う。セクハラやらかした野郎のことを、その実態のことは何にも知らない周囲の人々が「大丈夫だよ」とか言ってたら心の底から悔しいだろうと思う。
性犯罪においては、そういう周囲の人たちの声や信じたいという気持ちが、被害者の心を何度も何度も傷つけてきたのだと、そういうことは想像に難くない。

その人がそんなことするはずない、みたいなのは、最も近しい人にさえわからない。妻が知らないうちに性犯罪やってた夫みたいなのが山ほどあるわけだから、いわんや単なるファンをや。

 

日本にいると、これまで色んなアイドルが様々な不祥事でフライデーされ、しかしなんとなくなあなあになって謹慎して反省して復活してきたのを目にしてきたので、なんというか、アイドルの不祥事には慣れているところがある。
日本のファンは多分不祥事に甘い、というのもあるのだろう。私は韓国側の厳しい反応に正直驚いてしまったけど、よく考えればそっちが普通ではないか。自分の感覚がおかしくなっているのではないだろうか。

見逃して、許して、なかったことにするのは簡単である。そのほうが楽だ。自分にとってもそのほうが絶対に楽である。
今までふわふわーっと好きだったものをある日突然「ハイやめ!」とはなかなかできないものだし、自分の楽しみを自分で断ち切るのは本当に難しい。私だって、ここで、「こんなこと」で、SHINeeという自分の楽しみを失いたくない、と思う。
日本は大人アイドルファンが圧倒的に多くて、皆しんどい日常をやりくりするカンフル剤的なものとして自分の生活のなかにアイドルを取り入れているんじゃないかと思う。なんというか、合法の麻薬みたいなものというか。酒とか煙草みたいなものというか。身体にそんなにいいものではないと分かっていてもやめられないもののように、アイドルというのが、アイドル本人にとっても人権侵害になりうるものだと分かっても、アイドル自体が誰かに危害を加えたとわかっても、イメージと違っても、しかしそれでも、ファンをやめるよりは多分見なかったことにして忘れるほうが自分にとっては得だ。自分に直接関係の無いことなら、知らん振りをして自分にとって楽しいことだけを見させてくれるように、するほうがよっぽど楽である。

 

そうやって自分に楽をさせてきたけれども、今回は本当にどうしていいのかわからない。
報道が少ないとか一般のひとは気にしてないとかも耳にするが、つうかそもそもSHINee自体が韓国で一般のひとに興味を持たれるほどの存在であったかも微妙なので、報道が無いからといって問題性がないわけではないと思う。
ヤクやってましたとかのほうが10倍マシだった気がする。それは所詮本人の問題だからだ。同情の余地がまだあった。
しかし被害者がいるとなれば、私は果たして「加害者」となった推しに果たして「同情」することは許されるのか?大目に見て待つ、ということは、許されるのか?
(そもそもやったやってない論もあるが、仮に故意性のなさそうなディスパッチの報道を信じるとしても十分に迷惑かつ痴漢行為であるのは間違いないように思える)

 

そういう事態を、私は、許して、待ってしまっていいのか、と考える。
全然わからない。

全然わからないのですが、一体どうしたらいいんだろうか。


多分、自分が推してない全く関係ないグループの人とかだったら「永久に芸能界に戻って来んな」、とか思ってそうだよな、とだけ思う。

 

 

 

 

 

 

変な方言にイラッとしてしまうのは何故

先日ツイッターで、大阪の「天王寺」という駅名(?)のアクセントの位置についてのツイートを見かけた。標準語的なアクセントのつけ方を持ち込む非関西ネイティブによってよく間違われるものらしい。
これについて、そらそういうこともあるよね、というのが私の意見である。そういうこともあるよね、というのは、非関西ネイティブにとってはそんなのは分からないので間違えることはままあるが、現地の人から見たらなんじゃそりゃちょっとなおしてくれと言いたくなるようなものだろう、ということである。


私は九州は宮崎と熊本の境の出身でして、自分のネイティブの言葉としてはちょっと宮崎弁ぽさのある熊本弁みたいなやつを喋る。お前今なんばしょっとねー、夕ご飯ば食べとったったーい、みたいなそういうやつ。所謂「九州弁」と言われたときに想像される方言にわりと近いけど、コテコテの熊本弁と比べるとやわらかめというか弱め、かと言って宮崎弁かというと全然違うという曖昧なあたり。たい、ばい、は使うけども、やじ~とかは使わない、ばってん、とかも使わんよ、という感じ。
※ちなみにたい、ばい、は九州全域使っているかと思いきやそうでもない。宮崎弁は使わないですね。


私も例によってテレビのドラマとか漫画で妙テコリンな九州弁を見聞きすると激怒するクチだし「それは宮崎弁じゃなくてどっちかっちゅったら鹿児島やろ!!」とかいちいち突っ込む派なんだけども、前述の天王寺の一件を見ていたら、この怒りとか気になるとか指摘したくなるという気持ちは、果たして何なんだろうか、と思った。

 

中途半端な変な方言に違和感感じて怒ったりするのは地方出身者にはまああるあるかなと思うんですけども、これって単に心が狭いやつなんだろうか。私は今のシェアルームでドラマとかで変な九州弁とか聞くと「おかしいやろー!!」とぷりぷりすること多いけど、大体合意は得られない。まあ、九州出身が私だけなので当たり前かもだが。(私はもともと歴ドラとかで妙テコリンな時代考証できてないやつとか見てもぷりぷりしてしまうので本当に単に心の狭いやつなのかもしれないが)
それにしても、いちいち突っ込んでいると本当に自分が単なる心の狭い人みたいに感じられる。アクセントひとつで、いちいち言うなよ、と言われると、「……そうかなあ……」みたいな、後味の悪い気持ちになるのである。


標準語が母語のひとにはこの手の怒りというのは想像しにくいのだろうか、だって変なんだよ、と説明しても、「別にどうでもいいじゃん」とか「そんなに細かいこと気にしなくてもいいのでは?」という回答も多い。感じられないことについて、溝は深い。


そら心が狭いということだったら、そうなんですかねえ、という気もするけど、なんかなあ、と思う。
その辺のスーパーで売ってるなんちゃってチキン南蛮がどう見てもただのチキンの唐揚げタルタルソースがけになっているのを見ると「それはチキン南蛮じゃなさすぎるだろ!!!唐揚げのタルタルソースがけと名乗れよ!!」と死ぬほど突っ込んだりする狭量さをつい発揮してしまうのだが、かと言って、例えば昨今流行の「海外の妙テコリンなSUSHI屋に乗り込んで本物の寿司を教えちゃうYo!」みたいな番組を見ると「余計なお世話」としか思えない。カリフォルニアロール食ってサーモン食っとけばいいがなみたいな気持ちになる。そして散々言っておきながら日本でインドカレーと呼ばれているものは現地ではもっと細かな分類があってそもそもインドカレー」という呼び方自体が…みたいな話を見ると「そうなのか…しかしよくわからないし食べるぶんにはあんまり気にならないな…」という投げやりな気持ちになる。
この相反する気持ちを自分の中で一貫づけることは難しい。とても難しいと思う。ものすごいダブルスタンダードに陥っている。あるときは心が狭く、あるときは鷹揚で適当。

 

この差は単なる思い入れの差、なのだろうか。
チキン南蛮は宮崎にいた時分それなりによく食べていたし宮崎を代表する料理だし思いいれがあるっちゃああるけども、寿司は別に自分にとって何でもない、ので気にならない。しかしこの論は要するに「自分にとっていかに近しいか」という基準にしかならない。近しいものは気になる、近しくないものは気にならない、たったそれだけのことなんだろうか。物事に対する近さへの個人の感情と、心の狭さに由来するだけのものなのか。そういわれると、いやそうじゃないだろ、と言いたくなる。言いたくなるのは何故なのか。

 


私にとって言葉は私のアイデンティティのひとつである。
私は○○とは違う、というのがアイデンティティの始まりだと思う。私の喋る言葉は標準語とは違う、関西弁とも違う、九州の福岡弁とも熊本弁とも宮崎弁とも違う。私の喋る言葉は、そのどれとも違う、私の出身の集落の人たちしか喋らないものだと思う。私のアイデンティティはその言葉に立脚していて、多分同心円上に「身近さ」みたいなものも広がっているし、知っている度も中心に近いほど濃い。

私の喋る言葉は超of超ローカルなもので、このグローバルな時代にクソローカルな方言ひとつに拘って一体何になるんだと言われると全く反論できない。方言で議論できるわけもなし、ドラマや映画は方言どころか日本語の標準語ですら最早不要では?英語と中国語がわかれば高品質のエンタメは見られますよ?という時代である。最早日本語を解することすらあまり意味が無いのに、そのなかのクソローカル方言に拘って一体何になるのか。

 

しかし、だからこそ、私は多分自分の方言に拘りたくなるのだと思う。何故なら、私にとってそれはコミュニケーションのツールであるだけではなくて、私という人間が、どこでどう育ってどんな人達と一緒にいたかを丸ごと抱え込める唯一のものだから、である。それは、私にとって標準語ではなく、私の方言のみが行えるものである。だから、気になるし、同心円上に存在する「近しい」ものについても、つい何か、言いたくなってしまう。
アイデンティティの置き所について考えてみる。近さ、とはつまりアイデンティティの置き所との近さということかもしれない。

誰でも自分のアイデンティティをないがしろにされるのは嫌だろう。「私はそんなの気にしない」というのは、多分その気にしないことはそのひとにとってアイデンティティではない、ということなのだろうと思う。あるいは、「気にしない」ことこそが、アイデンティティであるか。

 

思うけども、「気にしない」は優しくて度量が深いが、重大に無神経でもある。気にしないよ、と言われれば救われることも多いが、気にしないよ、と言われることで逆にないがしろにされた気持ちにもなる。

 

「ないがしろにされている」ことへの怒りなのかもしれない。
軽んじられている、と感じることに対する怒り。それを軽んじられると、自分も軽んじられていると感じる、という範囲の個別の広がりはあれども。
軽んじるということは、怒る対象とある程度上下関係がないと存在し得ない。軽んじられたくないから怒る、もっときちんと、対等に見て欲しいと思う。要は、怒るか、そうでないか、その怒りがどれほどに「正当性」を持つかは、その上下関係に一番左右されるんじゃないだろうか、少なくともそれが、「正統」なのか「言いがかり」なのか、分けることがほとんど不可能だとしても、分けられるとしたらそれしかないだろうと思う。

 

方言を喋るものにとって、標準語は壁であり天井であり支配者である。標準語がまさしく全ての、ニュースもドラマもアニメも全ての「標準」であるなかで、方言はあるキャラづけのためにしか存在しない。もしくは、存在すらしない。例えば九州弁を喋るキャラ、これはそれだけであきらかに標準語を喋る人たちとは違うものになる。イメージ通りの純朴、頑固なキャラ、或いはそのイメージを逆手に取ったキャラ、しかし九州弁を喋る人間が都会のスマートなイケメンキャラということはまあないであろう。そういう存在に予め設定されている。またそれは一部確かにそうであるから、たちが悪い。実際に方言は、標準語のような洗練された語彙や意味を持っていない。その点について「劣っている」ことは、また事実だと感じる。

子供の頃はせめて関西弁の地域に生まれたかったなあと思っていた。同じなまっているでも関西弁ならカッコがつくが九州弁では単に田舎くさいだけである。と。これを否定できるひとは果たしているか。九州弁が本当にスマートでカッコいいなどと言えるひとがいたらそれは単なる思慮浅であると思う。

 

いちいちアクセントひとつにうるさいのは、方言はローカルなものだからだ。だからこそそれ自身に多様性はない。「多様な宮崎弁」は存在しない。それはひとつひとつが「違う方言」になるのであって、だからこそ、強烈にアイデンティティと結びつく。標準語は多様性を引き受けることができる。それは、標準語がローカルなものではないからだ。ローカルなアイデンティティと結びついていると感じられないから。多分、標準語話者はひとりだけで違う言葉の世界に放り込まれて初めてその言葉のアイデンティティを知るのだろうと思う。そこで初めて、「私は違う」ことを知る。違うことを知らなければ、アイデンティティをそこに置く必要がないから。

 

もちろん、言葉にアイデンティティを置くかどうかはひとによる。そのローカルにアイデンティティを置くかどうかも、ひとによる。人によっては本気でこんな言葉もローカルも捨てて忘れたい、アイデンティティの一片にもしたくない、ということもあると思う。それはそのひとにとっては、捨てることこそがアイデンティティになるのだろうし、無かったことにすることこそが必要なのだと、それもまた理解はできる。

 

 

全ての人に言葉をアイデンティティにしろ、とは絶対思わない。大体が方言なんてのは日本のなかでマジョリティに生まれた日本人にとってそれ以外に自分の属するものや差異を感じることがなくて済んでいる、ちっぽけなアイデンティティの話である。

とはいえ、国ほどの大きな塊には共感を持てなくとも、ローカルレベルには共感を持てることもあり、アイデンティティの範囲の収縮がどのレベルになろうとも、「自分はここに属している」と感じるときの甘い気持ちから逃れるのは難しいと感じる。

 

差異を認めることと、私たちは同じだわかりあおう、と言うことのどちらが正しいのか、わからないが、とりあえずより相対的に世界で支配的なほうが「正しいものを教えてあげよう」というのは大きなお世話だし「気にしないよ」と言うのはデリカシーが無い。と思う。全てはその相対的な上下がどこにあるのか、どっちにあるのか、それを見定める能力を養うことによってのみ担保されると思うがそれすらおぼつかない。

 

変な宮崎弁に怒ることは私にとって「正当な」行為なのか、単なるクレームなのか。

 

とりあえず何かを表現するときは、なるだけ、限りなく、それを「正確に」描写できるよう、調べて、協力してもらうことで避けられるものなら、それをしよう、と思う。

大阪弁のキャラの二次創作はできないが仕方ない。

 インドカレーを本当は何と呼ぶのがいいのか、知らなくともまず、これは本当にインドカレーと呼んでていいのか、と直感的に疑う能力を磨きたい。

自分から伸びる同心円を、広げられたらいいが、きっと私の円の中心は永遠に九州の真ん中あたりにあることもやめられないだろう。

 

 

 

21世紀の30歳はすきなものがわかりません。

最近なんかしんどいというかなんかきついなあ、ということが多く、ぼやぼやしてコナンの映画見に行ったらクソ面白すぎて今実は既に3回見たんですが完全にダメ人間のまま中国語教室の宿題をサボったりしていて2週間すぎていてさすがにダメすぎて一周まわってますますきつくなってきました。
もう5月も半ばなんて月日の経つのがはやすきてきつい。


最近あんまりアイドル情報を追えてない、というか追ってないんだけども、それは気持ちが冷めたというよりは、なんか見るのがつらくて耐えられないのでとりあえず目をそらすのを増やした、というのがあっている。

前々から、アイドルを愛でるっていうのは(私のようなすきになり方においては)ものすごく罪深い、やつだなと思いつつ、それでも気持ちの勢いでぶった切ってきたところがあった。が、ぶった切るのも限界というか刃が鈍って切れずにそのままぶち当たった感。
私のような、というのは、音楽性とかダンスがーとかラップがーとかそういうのではなくて、こうアイドル個人をすきというか、個人を推しているタイプというか、まず個人ありきでそれに歌ったり踊ったりがくっついてくるタイプのすきになり方なんだけども、私は自分がアイドルハマる前からアイドルというのはそうやってすきになるものだと思っていたし今もそれは変わっていない。アイドルというのは、その個人を、会ったことも話したこともない個人に得られた情報から構築した自分の妄想をかぶせてそれを愛すもの、だというのはわりと確信している。自分にとってはそういうもの、だというのを確信している。

 

確信しているので段々つらくなってきた。
そもそもやっぱりそういうすきになり方っていうのは、最終的なところで「倫理にもとる」というところを超えられないなというのをしみじみ了解してしまったので。
いやだってね、やっぱりそもそも「知りもしない他人」に幻想ぶっかけてその幻想を愛して幻想に違ったら気持ちが冷めるなんてやり方は、顔見知りレベルで知ってる相手へのすきになり方にしてもどうかと思うが(中高のスクールカースト最下位あたりの人間は同じクラスの人間にもこういうのをやりがち、いや私のことです)、やっぱ、これは、いかんやつですよ。いかん。
勝手に期待して勝手に失望してみたいなのを、まだ失望はしたことはないのだが、これから先絶対多分あるだろ、というのを隣の芝を見ながら明日は我が身と恐れており、勝手に期待して勝手に失望して、というのを自分でやらかすのを想像するだけで既にきつい。そういう状況になるのもつらいが、自分がそうなるのがつらい。

 

音楽とかダンスとかなんかそういう技量をメインにしてアイドルを好めるひとが大変羨ましい。技量を評価する、というのはわりに「正しい」ことだと思う。技量というのは評価されるために身につけるものだ。だから技量を評価することは、間違っていないしなされてしかるべきものである。

しかし私がやっているアイドルのすきになり方というのはそういうやり方ではない。正当な技量への評価ではなくて、なんだかよくわからないけど何かをきっかけに(顔だったかすら最早わからん)そのひとに幻想をぶわっと膨らませてしまって、そこにあとからの諸々の技量がついてきてそれを「素敵に感じる」ように自分の気持ちでもっていってるわけで本当にそれが素敵なのかすらよくわからない。

そういうのがつらいなあ、と思う。自分が何をすきだと思うのかよくよくわからない。

 

売れてほしい、とか売れ続けてほしいとかいうことを考え続けるのもかなりきつい。生きている人間なので食い扶持は必ず必要である。アイドルはアイドルの仕事を続けないと食っていけないけど、アイドルは一生をかけるにはちょっとつらすぎる職業だというのもわかる。何しろ私のようなファンがつくのである。技量を評価するのではない、個人に幻想をかぶせてみているファンが。これはつらい。しんどい。そんな幻想に一体いつまでつきあってやらなきゃいけないのか?

アイドルという仕事から次のステージへ、ファンの幻想に付き合い続ける忍耐力的な意味でのアイドルという仕事の才能というのはあるかもしれないけど、その次の、もっと個別的な才能、演技とか歌とかとにかくそういうより幻想との付き合いが気楽なほうへ、ファンを「裏切る」可能性の低くていいステージへ、脱出してくれと思うがしかしアイドルでなくなったら推しを推し続けられるかというと私は多分できないと思う。

私は、自分の幻想につきあってくれるアイドルでなければ、すきになれない。これもまた確信している。その辺の、アイドルじゃないラッパーとかぜってーすきになれないもんだって幻想につきあってくれないから無理。冷たすぎて全然無理。

 

売れればアイドルなんてもはやしなくてもよくなる、それは推しにとっておそらく喜ばしいことではないかと思う。もしかしたら心からアイドルという仕事に向いていると自分で思っていて天職みたいにやっているひともいるかもしれない。が、そんなことはわからないし端的に恋愛や結婚についてファンとの折り合いを考えつつやらなきゃならん、というのは現代の倫理観からいっておかしい。しかし、恋愛や結婚にショックをうけてファンをやめる、というファンがいたら、そりゃ考えざるをえない。ファンとの約束というより、これから先の食い扶持を保つために。

なんかこうそうやってファンとして推しの食い扶持を人質に推しの私生活を縛っているのがつらい。いや、そんな縛る力なぞファンにはないかもしれない。そんな権力実は無いのか?どっちなんだろうか。バンバン好き勝手やっても実は大丈夫なのか?そんなことはやっぱりなくてファンというのは推しの足枷なのだろうか。一体どっちなんだ。ファンとは一体何なんだ。誰か教えてほしい。

 

私は「幻想に付き合わず勝手に恋愛したり結婚したりするなんて詐欺だ」という言葉を口してはいけない、それは言ってはいけないことだ、というのは一応わかっているつもりである。が、うっかり言ってしまったらどうしよう、と何かしら炎上が起こるたびに思う。うっかり言いかねないのは、それは私が幻想をすきだという約束をアイドルに求めていることは事実だからである。うっかり口に出しそう。「アイドルだって普通の人間なんだから」という正論が、本当に倫理的にあまりにも疑う余地のないことなので、自分のやっていることがとても非倫理的だといちいちわかるのでとてもきつい。きついのである。生きている人間のファンをするというのがとてもきつい。

 

 

というわけで最近はアイドル情報を追っていない。私が非倫理的なことについて、一体どうやって解決していいのかわからないからである。果たして、私の非倫理的なアイドルのすきになり方と、実際にアイドルをすきで応援するということは、両立できるんだろうか?誰か教えてほしい。思うのは自由でしょうかね。思うのは?では口に出さなければ?口に出してしまったらアウトですが、思うのは一体どっちなんだ、可なのか否なのか。

 

 

などと思うととても疲れてほかの沼をあさりにいったりしているけども、ああ二次元に戻ったらそっちのほうが楽だっただろうか。本人という正解がいなければ少なくとも非倫理的にはなりようがないからマシか?

久しぶりにPixivで二次創作を読んでいたら、私そういえばオタクの始まりは男女カプだったなあというのを思い出して、しかし男女カプだと私のフェミコードにガッツンガッツンひっかかってくるのでなかなかしんどいものがある。何故いつも女子キャラが料理をつくっている二次創作なのだ。結婚がゴールなのか。この辺が21世紀に読むにはしんどいのである。私が読んでいた20世紀の作品は今読むにはきついのである。でも私は明るいラブコメみたいなのめっちゃすきなのでリアルに中学生から好みが変わってないことを自分のPixivのお気に入り一覧から改めて知らされて恥ずかしい。ちょっとだけ消え去りたいくらいに恥ずかしい。なんで自分、手を繋ぐみたいな話がすきなんだろうか…!

 

21世紀の30歳は一体なにをすきになるのが正解なのか、誰か教えてほしい。本当はもっと年齢に相応しいものを相応しいように余裕ですきでいたいのだが、中学生から進歩がないので、とてもつらい。アイドルのことを茶化せないような非倫理的な方法ですきなことがとても、なんというか、直視するにいたたまれないし単純につらいのであった。

 

21世紀の30歳は一体なにをどうすきになるのが正解なのか、頼むから誰か教えてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画名探偵コナンから紅の恋歌 があまりにもおもしろすぎた

GWが終わってしまって死ぬほどげんなりしているし朝一発目から電車が遅れていた。これは全ての社会人の「働きたくない」という怨念の成したものだと私はわかっている。わかってんで工藤!!

と今なんでも最後にエセ関西弁をつけたい衝動に勝てないんですがなんでかっていうとコナンの映画を見に行ったからです。
なんで見に行こうと思ったかというと、なんかたまたま同居人がHuluに入ってた(Kpopに最初ハマったのもたまたまHuluでやってた歌番組を見たからだし私の行動原理はHuluに支配されているのではないか…?ちなみにNetflixも加入してるよ)コナンの映画を見てて久しぶりに見たらなんかアホほどおもしろくて、私ね、もともとコナンだったら服部君(というか和葉ちゃん)がすきなんですよ。そしたら今やってる映画服部君のやつだということに気付いて、見に行くことになったんですよ。友人達と計3人で。アラサーの女3人で。

GWのレイトショーで行ったんですが席かなり埋まっててしかもレイトショーなので大人ばかりだったので、コナンて人気あるんだなあ、と感心した。
今回の映画は2003年の平次君フィーチャー映画「迷宮の十字路」以来の平次君スポットライト映画であるという。思えばもしかして、コナンを見るのってアニメ含めてそれぶりくらいではないか。2003年の映画は見た記憶があるが、それ以降多分、少なくとも社会人になってからは一回も見てない。アニメも。2003年、そのとき私はまだ高1でしたよ。えっ服部君より年下じゃないですかまじかよ。


今回の映画の舞台は大阪と京都である。以下は私のおぼろげな記憶とともにお届けされるので間違っていたらすみません。皆映画館に見に行けばいいと思います。あっネタバレします!!ネタバレ注意!!!!!

 

なんかカルタ関係の特番の対談相手として大阪のテレビ局に呼ばれた毛利のおっちゃんに、コナンたちがくっついていったらなんか知らんけど服部君達も着いてきてたというところから始まる。特番の撮影現場にはカルタの大会の決勝で使うとっても貴重なカルタも持ってこられていた。和葉ちゃんは幽霊カルタ部員でもあるらしく、クイーンを目指す友達の練習相手をいつもやってるらしい。そこで服部君と和葉ちゃんは、突然服部君のことを「未来の旦那さん…///」とか言い出す謎の女性に遭遇する。特番の模範試合の選手のひとりだったらしい。いや、あんた本当に誰だよ。未来の旦那さんて、思い込みが激しすぎないか。ていうか、相当年上なのかと思っていたけど後から高校生と判明。うそでしょ!?

 

そしたらなんと、そのテレビ局に爆破予告が届く。警察(服部君のパパ達)が「ほんまやったらえらいことやで…!」とかシリアスな空気を醸し出す。いや、確かにね、ほんとだったらえらいことですけどね。しかし今時ね、そういう予告のイタズラもたくさんあるからね。

とか思っていたら突然避難命令の館内放送が流れ出す。私は社会人になってからコナンを見るのは初めてなのだが。
あのさあ!!そういうのは!!普通上からどんどん決定が流れてきて現場まで染み渡るようになってるから!!会社は!!いきなり館内放送とか絶対ないから!!!社会人になってから私はわかったんですよ!!なんかこれは新鮮な驚きで、「人生経験の差」というのを人生で初めて感じた。そんなんないと思ってたけどこればっかりは過去の自分より確実に物知りになっていることを自覚した。歳は取ってみるものだ。
正直本当に爆発があるのか疑っていたので、この館内放送も犯人の仕業で、全員騙されて退避してる間に殺人か盗みが発生するのでは?と思いながら見ていた。ら。

 

本当に爆発した。

 

爆発するんかい!!本当だったんかい!!!!
と心の中で10回くらい突っ込んでいたら服部&和葉が巻き込まれていた。カルタの友達も一緒で最初は3人で逃げていたのだが、その友達が「あの貴重なカルタをここに置いとくわけにはいかん!」と言い出して戻ったのである。なんで!!!なんでじゃ!!!!命より大事なものなんかこの世にはないです!!カルタとかどうでもいいです!!!!あんたら逃げなさいよ!!!
カルタを無事確保しその友達はなんとか外に出られたものの、運悪く服部&和葉は燃え盛るビルの中に取り残されてしまう。服部君は頑張って屋上に向かおうとするがめちゃめちゃ燃えていて脱出しようがない。困った。これは困った。さあどうするんだ。そこで服部君は「ひとりやったらどうにもならん」みたいなことを言う。おお、これは和葉ちゃんとふたりで協力して脱出するのかな??と思っていたら。

隣のビルから助走をつけてガラスをバーーーン!!!とぶち破りコナンがスケボーでドーーーーーーンと燃え盛るビルに突入してきた。

おかしいでしょ!!!!普通死ぬでしょ!!!!!

現に煙のなかにつっこんで前が見えず鉄骨にぶつかっていたがこれは洋画なら間違いなく鉄骨に刺さって死んでたよ。また偶然服部君のめちゃめちゃ近辺に落ちることができたわけだが、飛んできたコナンを見て(書いてる最中コナンを変換しようとすると湖南になる…内藤湖南!!あんたコナンだったんだな…!!!!)服部君は、「待ってたで工藤!!」的なことを言ったのである。(ごめん「遅かったで工藤!」だったかもしれん)おい!!!!「1人じゃ無理や…」とか言ってたのはこいつを待ってたんかい!!頼るのはそっちかい!!!そして子供を頼るなよ!!!!!

 

コナン君の謎の超強力素材ベルトで服部&和葉は下に降りることができたのだが、そのあとさらに屋上が燃え広がってコナンが取り残されてしまう。
あのさあ。助けに行ってそのまま巻き込まれてどうすんのよ。ていうかほんと思うけど君らはもっと行政を頼ってくれよ。犯罪には警察だし火事には消防士だよ。君らまだ高校生でしょ?もちょっと世の中のプロの大人を頼ってくれないかなあ。てかほんと今気付いたけどね、こいつら子供なんですよ!!子供!!高校生!!ティーンエイジャー!!!!頭脳は大人!とか言ってるけどね、こいつら子供なんですよ!!!!!ほんと自分大人になってみて気付きました。こいつらは子供なんですよ!!もっと保護されるべきなんですよ!!!!

 

燃え盛る屋上で意識を失いかけたコナンだったが、ふと脳裏に浮かんだ蘭の姿に「蘭!!!!」と覚醒する。すごいなその本能で感じる蘭。ちなみに今回いつもの「らーーーーーーん!!」がなかった。あったのはこの「蘭!!!」のみだった。しかし燃え盛る屋上である。逃げ場は無い。どうするどうする江戸川コナン。助走をつければスケボーで外に飛び出せる。しかし助走をとれるスペースが無い。ここで彼はある方法を思いついた。

方法とは、テレビ局の巨大なアンテナのうえでぐるぐると助走をつけ外に飛び出すこと。

 

もう正直ね、笑いをこらえるのが相当、相当きつい。アンテナのうえで高速でぐるぐるするコナンの姿。今思い出しただけでもむちゃくちゃきつい。もうね、ありえんでしょ、おかしいでしょ、真剣にやっているのかギャグなのか判断つきかねる。すごい。肩を震わせる私の目の前のスクリーンでコナン君はぐるぐるぐるーーーーバーーーーーンと外に飛び出した。がやはり助走が足りない!このままでは道路に…!!ここで突然服部君が飛び出してきてコナンを空中でキャッチ、そのまま川へダイブ。
すごすぎか。体力どうなってんのか、ていうか超人か。久しぶりにコナンを見たけどまじめに超人ぶりが若干テニプリを髣髴とさせるレベルに達しているではないか。そのうち恐竜が滅びるぞ。

 

そういうわけでテレビ局爆破事件からは無事生還したコナンたちであったが、件のカルタを取りに戻った友達が骨折してしまい、来週のカルタの大会に出られなくなってしまう。するとそこへ服部を「未来の旦那さん♡」と表現していた女子・紅葉が現れ、「そんならカルタ大会の優勝はあたしで決まりや!そして勝って、服部君に告白する!」と言い出す。その子は昔子供の頃「大きくなったら嫁にとる」と約束していたらしい。そして焚き付けられた和葉ちゃんが友達の代わりに大会に出場することになる。

 

マジで確認したいが今時嫁にとるももらうもなんもないんだよ!?君ら高校生、若い子達に伝えたいが、今時嫁にとるももらうもない!!結婚つうのはふたりで新しい籍をつくるのであって家に入るとか嫁にもらうとかそういうの無いからね!??

 

と突っ込むわけだがなんかこの辺は多分わかってる人は大人でも少そうだよなと思う。思うけど子供も見る映画だからなおさらその辺気をつけてほしいよ〜〜ほんとに〜〜千里の道も一歩からですよ〜〜〜

てかちゃんと練習したことない子がいきなり試合に出て勝てると思ってるのおかしくないか。真面目に部活やってる子がかわいそうだろ…!

 

さて一方、その紅葉が対戦するはずだったカルタのひとが殺されていた。現場にはリスを連れた麻呂警部がおり、「この子らすきにさせたって」とか言って勝ってに殺人現場に服部&コナンを入れる。二人は現場を歩き回りコナンは勝手にスマホで写真を撮りそのデータを勝手に東京にいる哀ちゃんに送る。

いやいや、セキュリティとかもう、どうなってんの?民間人(しかも未成年)に勝手に情報を流さないでくださいよ!!これも働きだして気づいたけど情報漏えいはまじで大変な問題なんですよ!?こんなことやってんのバレたら京都府警はとんだスキャンダルだよ!!

 

一方和葉ちゃんは徹夜でカルタの特訓。そんな、一夜漬けじゃないんだから、これまでカルタめちゃめちゃ訓練してきた人たちにこんな短時間の練習で勝ったらなんかもう可哀想だし失礼では…と脳裏にちはやふるが浮かぶ。観てないけど。

そして服部君のお母さんが元カルタクイーンというチートな設定である。この人たちの周囲は、チートな人たちが多すぎる。

 

そして迎えたカルタ大会当日、なんか会場は厳重警備。何故ならこのカルタ大会上位に関わっていた人たちが次々と狙われているからである…(事件のことがあまり記憶にないので割愛。インパクトが薄すぎた)

 

一連の事件の犯人は、このカルタ大会主催の不動産王の妻であり元クイーン(故人)のライバルであった男(現在行方不明)ではないか?ということになる。

それで厳しく警備をしていたのだが、めちゃくちゃ簡単に不審者に侵入される。意味ない!!そしてこの不審者は謎の爆死。

カルタ大会では和葉ちゃんが順調に勝ち進んでいた。いや、爆破事件が起こった段階で止めろよ、試合を。と思うが止まらないのがコナンである。なんと和葉ちゃんは気合で決勝に辿り着く。気合ありすぎ。ていうかほんと、名も知らんポッと出の素人に負けたこれまで盛んに頑張ってきたはずの参加者達が不憫すぎる。大体和葉ちゃんも設定がチープすぎんのよ、コナン世界設定がチープすぎんのよ!!

 

決勝は、大会の行われていた…寺?豪邸??の敷地内のすごい崖の上にある離れで開催される。そこには小舟でしか行けない。

そこに和葉ちゃんと紅葉ちゃんが不動産王と一緒に船で向う。どうでもいいけど紅葉ちゃんが和葉ちゃんのことを「私はあんたみたいなただの葉っぱとは違うのよ、葉っぱちゃん」と呼んだのはよかった。葉っぱちゃんかわいい。罵っても葉っぱ程度というところにこのいい育ちがでていて良い。

 

で、ついに決勝が始まるが、なんと、一連の事件の犯人はこの不動産王であった。不動産王は和葉ちゃんと紅葉ちゃんを道連れにこの離れを爆破して死のうとしていたのである!おい、ジジイ駄目すぎるだろ!!!!!

真相に気付いた服部&コナンは服部のバイクで崖上の離れ目指して山を駆け上る。バイクすご過ぎ。いくらなんでもこんな急斜面登れ過ぎではないか。

気づくのが遅かったため離れの下の支え部分が先に爆破されてしまう。ピーンチ!!!!和葉ちゃんピーンチ!!!!

 

ここからがもう怒涛の服部不死身伝説なのだが、飛ぶ。服部&コナンはバイクで崖から離れ目指して飛ぶ。普通死ぬと思うけどもうトンデモが過ぎていて最早突っ込む力もなし。笑いを堪えるのがむちゃくちゃしんどい私を置いて、服部&コナンは燃える離れで真実を暴露する。なんと、不動産王の死んだ妻のライバルだった男は、既に殺されていたのであった。その、死んだ妻によって。それを隠すために不動産王は一連の事件を起こしたのだった(ような気がする。あんま覚えてない)。

 

さてこの燃え盛る離れからなんとか脱出しなければならない。まだ辛うじて離れに通じるエレベーターが生きていたのでそれに不動産王と紅葉ちゃんを乗せるコナンだったがそこで離れが崩壊。普通死ぬと思うのだが、エレベーターの箱をコナンは謎の超強力ベルトで空中に固定。なんとか助かる。ベルトすご過ぎないか。いくらなんでも超強力過ぎないか。新素材が過ぎる。阿笠博士は何者なんだ。東レNASAで研究したほうがいいのではないか。

 

一方燃え崩れる離れに取り残された服部&和葉であるが、なんとかして脱出せねばならない。服部君はちょっと下の方にある池までバイクでダイブする!!と宣言。絵面からみてもどう見ても遠い。飛べそうにない。無理くね!!????!と多分全観客が思ったと思うが和葉ちゃんも無理やろ!と訴える。このまま下の川に飛び込んだほうがいいのではと提案するが、「こんな上から飛び込んだら水面がコンクリートみたいに固なって全身粉々になってまうでぇ!(脳内で大阪弁に補正してください)」的な説明で、ちょっと下の池まで飛ぶほうがまだ可能性があることを告げる。そうかぁ!!?????と全観客が思ったと思うがとにかく飛ぶ。バイクで飛ぶ!!ていうかバイク、生きてたのか。最初に飛び込んだときにぶっ壊れたと思ってたのに全然まだ動く。バイクまで不死身伝説か。

バイクのエンジン全開で跨った服部&和葉、服部はここで伝家の宝刀を取り出す。

 

「よう掴まっとけよ!!手ェ離したら…殺すぞ(で?)!」

 

ハイ!!!!!ハイ来た!!!!!!先生それ私聞いたことあります!!!!!殺すぞ(で?)、聞いたことあります!!!!!!!!!

 

何のエピソードだったっけ…?と思い出す間もなく服部&和葉、飛ぶ。「届けぇーーーーー!!!!!」って叫んで届いたらあらゆる事故は発生しませんよ!!!!!!

 

ふたり、無事着水&ストップ。

なんとか脱出に成功したのだった…

 

因みにこの間、燃え盛る離れを前に警察消防は「アカン…!」とか言いながら立ち尽くしていた。諦めるな!!もうちょっとなんとかしろ!!!

 

こうして犯人も捕まり無事に事件は解決したのだった。

と思ったら紅葉ちゃんが残っていた。彼女はあの燃え盛る離れでの決勝で和葉ちゃんに勝っていたらしい。いや、勝たんかったら逆にいかんでしょうよ!!!

とにかく勝った紅葉ちゃんはそのまま自信たっぷりに服部に告白するが、なんと子供の頃に服部君が言ったのは、「次はもっとつ【よめにとる】」だったのであった………

 

衝撃の真実に紅葉ちゃんは撤退。とりあえず服部君と和葉ちゃんの平和は保たれたのだった……?

 

ていうか紅葉ちゃんの執事で出てたキャラ、声が小野Dだったんですけども。モブに小野D使うのやめろよな!!!!絶対なんか事件に関わると思ったわ!!!!!!

 

 

本当に始終油断させない展開で頭から終わりまで本当にクソおもしろかった。もう本当に笑いを堪えるのが大変だったし発声上映してほしい。私は皆で「殺すぞ」を復唱したいです!!!

 

いやしかしコナンいつから始まったっけ?私確実に小学生だったんだけど。工藤新一より遥かに年下だった頃には気付かなかったが、大人になってみて改めて見たコナン。気づきがめっちゃあったがとりあえず「頭脳は大人!」がそもそも間違ってることに気付いたのが最大の収穫であった。

 

 いや、子供だよ、子供なんだよ、工藤新一。周りの大人もちょっとしっかりしてほしい。こいつら子供ですよ。

 

 

あまりにもおもしろすぎたのでも一度見に行きたいくらいである。そしてHuluに過去のコナンのアニメが1話から入ってたのでちょっと見てみたんですけど、当初の蘭ちゃんの「待ってるからね…」はゆうてもそこまでではなかったのが新鮮だった。そうだよな、新一消えてからまだ1ヶ月くらいだもんな。それに比べて近年の蘭ちゃんの「待ってるからね…!」の悲壮感はすごい。そりゃ20年も待ってりゃ悲壮にもなる。20年だよ!?いい加減コナン新一に戻れよ!!!

あと服部&和葉ちゃんもいい加減くっついてほしい。「こ、こいつのことなんか好きじゃないんだからね!」に20年も付き合うこっちの身にもなってくれ。いい加減にしてほしい。

 

 あまりにもコナンがおもしろかったのでついウン年ぶりにpixivにログインしてしまった。ID忘れててログインするのがめっちゃ大変だった。

私は蘭が犯人の報復かなんかで誘拐された挙句殺されてしまいそれに復讐を誓い完全闇落ちした新一が黒の組織に入り一方順調に大学就職と進み和葉ちゃんと家族になった服部君が操作の過程で進一が黒の組織のトップになっていることに気づいてしまい直接対決の末服部は「なんでや工藤…!」と言いながら新一に殺されるっていう二次創作が読みたいんですけどまだ見つけてない。

 

 

しかしなあー新一服部のスペックが高すぎて蘭和葉ちゃんの将来が専業主婦以外になかなか考えつかないのがつらいなあ、なんか自立できる道…就職…とか考えてもどう考えてもそれぞれのパートナーのスペックが高すぎて無理。なんかなあ、それでいいのかもしらんけど21世紀のヒロインとしてちょっと寂しいよなあ…

と思っていたが私はウルトラCの解決方法を思いついた。蘭和葉ちゃんはそれぞれ空手と合気道があるから、そのままふたりは海外武者修行道場破りの旅に出てカポエイラクラヴマガを会得して私があなたを守る!!を地で行くスーパー最強アイドルになるべし!

いずれ総合格闘技の世界チャンプを決める試合で対戦してほしい。その際には、「…今日は手加減しないからね」「いや、怖いわぁ」と不敵に笑ってリング上で再会してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝塚の沼を見学に行ったらもう少し沼に近づいてみたい、ような…?

それは正月のことだったんですが、確か元旦だったか。帰省して実家でクソみたいにダラダラしながらテレビがつけっぱなしになっていたところ、NHKで宝塚のレビューが始まったのである。「カルーセル輪舞曲」というやつらしい。

 

私が宝塚を見るのは初めてではない。数年前に宝塚沼にドボンした友人がいてほかにも数名沼に足を取られているため、一度連れて行ってもらったしDVDでも何回か見た。
元旦は親戚が来ないので暇だし(と思ってたら来たけど)と思って宝塚を見始めた。私は普段SHINeeというKpopグループを追っているのですが、機会があったらほかの沼の様子も是非観察したいと思っているので誘われたりテレビでやってたりしたら見るようにしているのです。何故か。単純に興味もあるけど、あと約2年後に訪れる兵役による活動強制中止に備え、萌えの拡散を図っているのです。今完全にSHINeeを中心に回っている生活、2年後それがぽっかり空いたとき私の生活一体どうなってしまうのか…?考えるだけで恐ろしいので、なんとかして萌えを分散したい。鑑賞の動機は不純ですが死活問題なので、これからもお誘いお待ちしております。お礼としては、とりあえずSHINeeのライブ等に誘うということができます。よろしくお願いします!
※生活がぽっかり空くのが恐ろしいのでいっそ婚活とかしたほうがいいのかなどとすら考えている。

 

というわけで漫然と見るのではなく、おっこれは?というひとを見つけるべく集中して見ていたところ、アラ、なんかこのひとシュッとしてて素敵じゃない?というひとが画面にちらちらするのに巡りあった。が、しかし。予備知識もないし修行も足りないので、大量の宝塚メイクの波のなかからそのひとを見分けることができない。素敵じゃない?と感じたひとが同一人物なのか数人いるのかさえよくわからん。最終的に羽を背負った?人達がばーっと出てくるときに、なんとなくトップではないがわりと真ん中にいて羽を背負っていたひとだったような…気がする…??と思ったところで終わった。

ツイッターに「宝塚テレビで見てる」とあげておいたところ、ヅカ沼ドボンの友人から即座にリプが来ていたので、「なんか素敵なひとがいた気がするので教えて欲しい」と返した。すると、「どのひと?」という返しがきたわけですけども、自分でもわからんのですよ!!とりあえず「なんかシュっとしてた」という要望を伝えた。そしたら「シュっとして素敵なひとなんて山ほどいるからわからないよ(怒)!!!!」という返信が来た。ですよね!!その友人からは「この中から誰だかわかる?」とずらっと団員さんが載ってる公式ページのリンクが送られてきたけどまっったく判別が不可能。ごめん素人だから…
※Kpopに初めてハマったときにMVごとに髪色と髪型が違うので誰が誰だか判別つかない!!!!と叫んでいた日々を思い出した…今となっては誰と誰が判別つかなかったのかが分からない。

しかし、やっぱり画面によく映っていたからそれなりに地位にあるっぽいし、羽を背負っていたので多分2番手のひとではないか、ということになった。それが美弥るりかさん、という方であるという。宝塚メイクの写真をしげしげ見てもまったく確信がもてないけど多分そうだと思う、ということにした。そしたら宝塚沼に足を取られている最中の別の友人が誘ってくれて、このたび「グランドホテル/カルーセル輪舞曲」を見に行けることになったのである!

 


本当に全く予備知識を持たないまま当日。
美弥るりかさんは、準主役らしい。友人と会場に入り、会場内のお土産やさんなどを冷やかす。なんというか、ここは本当に独特の世界ですよね…各組のトップスターが自ら監修したグッズなどが売られていて、紅ゆずるさんの炎の紅Tシャツのインパクトがすごかった。あの紅の周りにこちゃこちゃしている謎のレンジャーは一体なんなんでしょうか。
CDとかDVDも売られている。CDとか、あるんですね…!宝塚メイクではないメイクのジャケット写真がなんか、不思議な感じがする。ジャニーズみたいだけど違うし…あとファンクラブDVDみたいなのも面白かった。内容を見たら2PMの曲を歌っているのとかあって気になった。そういえば前どなたかがSHINeeのダズリングガールを歌ってる映像を見たことがある…。
YouTubeで探したら削除されていた。

おみやげやさんでは、中国語を話す女子達と韓国語を話す女子達がいた。普段は我々が逆で、ソウルのSUMショップでグッズ買ったりしているので、なんとなく親近感を覚えてしまった。情報とかどうやって集めてるんだろうなあ。
生写真(?)コーナーで美弥さんを確認するも、やはりいまいち確信が持てず。

 


というわけで開演。
1928年のベルリンの高級ホテルグランドホテルに集まるひとびとの悲喜こもごもという感じの群像劇で、主役になっているのは借金まみれの男爵。女子をひっかけるのとハッタリは得意だけども借金でそろそろ追い詰められている。テレビで見たとき、申し訳ないけどトップの方はお歌があんまり…と思ったんだけど、実際見たらなんかすごいオーラというか、なんか、やっぱトップってこれなのか~~!みたいなものがあった。なんだろう、しっかりした体型から来るのかな、すごい男性美みたいなものがあって、思わずくらくらしちゃうわ~みたいな雰囲気。
そして美弥るりかさん演じるオットーが出てきた。オットーはユダヤ人で病気にかかっておりそんなにお金持ちではなく、有り金はたいてこのホテルに来たらしい。(この辺なんでオットーがここに来たのかちょっとよくわからなかった。死ぬ前に贅沢したかったのか?)ちょっとこのオットーというキャラにしては美しすぎるのでは…?とも思ったけど、あんなにシュッとしてるのに背を丸めてよろよろした演技で、シュっとしたところを全然感じさせなかった。歌もうまいですねえ!!
投機に成功して突然金持ちになってダンスホールで浮かれて踊るところがめちゃくちゃ可愛かった!

グランドホテルは劇の内容自体もおもしろくて、この時代の衣装もすごくかわいかった。休憩時間に友人と「おもしろかったねー!」と言いながら調べたところ、ちょっと前に宝塚でないミュージカルもやってたんですね…これは見てみたかった…!!


そしてカルーセル輪舞曲。これよ!これをテレビで見たのよ!!
舞台にでっかい回転木馬があり、頭上にはミラーボール、そして登場するトップスター!!おおお!!!なんか衣装のギラギラがすごい!!ものすごい!!!宝塚っぽい!!!!!
やっぱもうこのスポットライトを浴びてスター!スター!!スター!!!!ていうの、すごいよなあと思う。誰がどう見てもこのひとが一番(何が一番なのかよくわからないけどとにかく一番)なんだな、というのが分かるシステムすごい。
このショーは世界の色んなところを巡る的なコンセプトがあるらしいのだが(元旦のNHKで言ってた)、まず最初はアメリカ、どんな男はみんな荒馬だがどんな荒馬にも乗りこなしてこそ女らしい。

 

次はトップスターの「テキーラ!」のキメ台詞とともに、男役の群舞。随所で発されるトップの「テキーラ!」のキメ台詞のインパクトがハンパない。テキーラって何だ。酒か。ていうかここは一体どこなんだ。メキシコなのか。大勢の男役の群舞は大迫力である。美弥るりかさんもスポットライトを浴びて踊っていた。スーツを着るとシュっとしていてめちゃくちゃカッコいい!!ものすごくシュっとしている!!ていうか、大きさがテレビで見たのの半分くらい!?めちゃくちゃ細い!!頭が小さい!!(海外では頭が小さいって褒め言葉じゃないらしい!ごめんなさい!でも言っちゃう…!)華奢!!!こんなんだったとは!!とにかくシュっとしている!!!目が大きいですね!!しかしシュっとしている!!
ステージの前の橋??(正式名称不明)に出てきた男役の皆さんが、トップを筆頭にめっちゃオラつきながら客席に向かって謎の気勢(奇声…?)を発する。なんか、なんというか、巻き舌だったりして言葉にできないあの気合というか気勢というかは、一体、何なのだ……!!???

 

何だこれは…!と圧倒されていると、舞台はブラジルへ。ブラジル!!!宝塚ミーツリオのカーニバル!!!やばくないわけがない!!!もうすごい。まじですごい。最後のカーニバルの部分が圧巻すぎてすごい。もうギンギラギンでファッサファサでとにかくすごい。圧がすごい。
娘役のみなさんもなだか「ファー!」みたいなよくわからない声をあげたりしていてこれにもきっと何か宇宙の法則があるのだろうか。とにかくすごい。

そのあと、いきなり夜の砂漠になった。多分美弥さん…??が踊っていた。その後男役&娘役のムーディーなダンスになったりして、なんか、ここは、一体、どこなんだ………!!!!!????砂漠なのか、しかし歌詞で海がどうこう言ってる気がしたし、本当にここは一体、どこなのか。ブラジルから一体どこへ行ったのか。ここへ至って世界を巡るというより別世界へ飛んだ。

 

そのままこれや!宝塚や!!というラインダンスがあり、あの宝塚の階段が舞台に現れた。ファサファサーーー!!!!!と白鳥のような娘達を従えて、トップ、登場。上から大量の男役が降りてきて全員で踊る様はすごい。ていうか今思ったけど感想がすごい、とかしか言ってない気がする。
皆さん階段をね、するするーーーーって滑るように降りてくるんですよね。すごいなあ。コケないのかなあ。
最終的に全員が最終形態にメタモルフォーゼして階段を降りてきて、埋め尽くし、ついにトップが降りてくるところで、圧倒的「大団円&大感動!!」の大洪水で強制的に攫われていく感じが、もう最高に宝塚っぽかった。これは本当にすごい。美弥さんは確かに羽を背負っていた。ていうかトップ以外に背負ってるの美弥さんだけだった?
宝塚の、この、もうトップはトップ、トップなんやぞ!!!!!!!ていう強烈な序列の可視化、すごい。スポットライトが如実にトップを、序列を照らす。普段メンバー間に序列をつけない仲良しが売りのSHINeeとか見てるので、この強烈な序列はものすごい印象的だった。

 

前に見たときも同じようなものを見たはずなんだけど、今日こんなに強烈に感じたのは、きっと漫然と見ていた前と違って、一応「このひとを見るんだ」という目当てがいたからかなと思った。目当てがいると、トップとの差が否応にも目に入って、そうかあ、この差、これが、トップなのか…と身体に染み込んでくる感じがした。とかいってただの素人の感想ですけどね。すみません。


ショーの内容については、正直描き方が、所謂PC的な、他文化への配慮や尊重とかいう面ではもう、アウト、アウト…!!て感じなのだが、ここでそれを言うのは野暮なのだろうか。もはや分からない。ていうか途中から完全現地球から離れていったのでコンセプトもよくわからないわけだが、なんつうか、これも、野暮、なのか、もうわからん。
多分、世界で勝負しようと思ったらこの辺はもう絶対避けて通れないというか、いや世界で勝負しなくても現在の世界の趨勢から言えば改めるに越したことはないんだろう。いや、改めなくてはならない、のだ。
しかしなあ、部外者がどうこう言うものじゃないんだろうけど…
※ジョンヒョンさんのソロコンでインドっぽい映像をつくったところインド文化を侮辱しているのではないかという指摘があり、そこは削除となった。自分はライビュでそれを見ていたが見ていたときには特に何も思わず、後からネットで論争になっているのを知った。自分の感覚も鈍いものだなと痛感したし、それ以来こういうことについては意識して見ようと思っている。こういう議論については、指摘が速やかだったりするのを見ても韓国のほうが厳しいというか進んでるっぽいなあ、と感じる。

 

とりあえず、やっぱり目当てがいると全然違うことが分かった!前に漫然と見てたときとは全然違うわ。(ここでふと思い出したけど、確か前見たとき、SHINeeのViewのMVがお昼に公開された日でそれで頭がいっぱいだった日だったわ。道理でだわ
しかしほんとわかったけど、私、シュっとした華奢な体型のひとがすきなんだな…理由はもうただひとつで、自分がそうじゃないからそういう体型に憧れているっていう多分それだけなんだけど…シュッとしてるひとがどうしてもすきだ…

とりあえず、もうすぐ美弥るりかさんの主演の舞台があるらしいので、できたらそれに行ってみたいなあと言っているところです。
テキーラ

 

 

 

 

V6の20周年コンサートを見た

先日宮崎の実家にちょっと帰ったんですが、そのときブックオフに行ったらV6の2015年のコンサートブルーレイが売っていた。一度見てみたいと思っていたので購入した。(ブックオフでごめん

V6というと私にとっては即座に三宅さんが頭に浮かぶわけです。何故ならいつもSHINeeのコンサートに来てるというから。(私自身はまだ目撃したことがない)関東近辺のコンサートだと大体いつもいるようだし、年末の横アリのSW5にも来てて、どうやらSHINeeのみなさんともお知り合いになっている模様。(サインボールとか配るときに関係者席の三宅さんにご挨拶していたらしいとの目撃情報
あと私じゃニーズファンの皆さんのブログ読むのも趣味なんですけどもそれでこちらのブログを読んで気になっており。

V6の20周年コンサートを今更振り返る - over and over


ていうか常々ほかのグループのコンサートも見てみたいと思ってるんだけどもなかなかね、機会がないんですよ。今のところ映像含め見たことあるのはキスマイキンキ嵐関ジャニさんなんだけども、おいおい機会があったら増やしてゆきたいわけだがお金は無限ではないのである。お金がほぼ無限みたいなヒルトン姉妹的人生送ってみてえもんだよ。

 

というわけで再生。とりあえずまずしょうもない感想ですが登場から歌って踊るV6が新鮮だ!私がV6見てたのってまさに学校へ行こうが流行ってたときなのでもう何年前…?自分小学生だったから20年前じゃないか。まじか、20年か、自分も古くなったな…などと思ってみていたら、このコンサートはV6の20周年コンサートであった。まさしく20周年!!

衣装は私のイメージのなかにある「ジャニーズの人達ってこういう衣装よく着てるよね」みたいなテカテカでふわふわでロングで重ね着で次々脱いでいくんやで!的なのがあまりなく、大体シンプルなデザインの揃いのスーツなどが多くて意外だった。あとセットもぱっと見て懲りまくっているという感じではない。ただ、照明がすごかった。全体的にものすごくスタイリッシュ。余計な演出やセットは全て取り払って、シンプル&スタイリッシュでそこを照明の光線が切り裂いていく感じ。あとサブステのほかにアリーナをぐるっと囲むように花道ができていて、なんともファンにやさしい仕様でこれは羨ましいなあと思った。代々木のアリーナ一番後ろなんてほぼ何も見えん体感席と同義だし(EXOの最初の日本代々木公演だったかのときその席で、マジでモニターさえ見えなかった。歓声が上がるのでステージ上に誰かいるらしいことが分かるのみ。あれはつらかった…)、これはとても素晴らしい…!!
曲もなんかピコピコしてて、一緒に見ていた同居人と、なんか馴染みがある感じだね、と感想を言い合った。そう、馴染みがあるんですよ!私が普段見てるSHINeeとかのコンサートとかと!馴染みが!近しさが!!なんていうか、多分このシンプルな感じが。このコンサートはダンサーもおらず、ただV6と照明だけが舞台の上で歌って踊っていて、本人達の人間力っつうか、本人達の人力だけで空間を、埋めるというより空間に開け放っている感じがした。
SHINeeのは多分日本でコンサートを準備したりリハしたりする時間が短いせいもあると思われ。[※同居人がよくいく水樹奈々ちゃんコンサート比] コンサートするのに当日入国とかいうスケジュールもあるあるなのを考えると、本人達の人間力一本に頼ったステージにどうしてもなるよなあと思う。)


そんな感じで前3分の1くらいはずーっと歌って踊っていた。歌もうまい!!坂本さんとイノッチさん歌がうまい。イノッチさんは私にとってはもう「あさイチで人間的魅力100倍の人」みたいなイメージなんだけど、歌、うまいんだなあ。個人的にびびったのは森田さんの歌声で、なんつうか、想像の10倍くらい甘い。最初誰の声なのかわからず、「え…?誰…?…今誰が歌ってる?三宅さん?いや??あれ??森田さん????」てなった。その歌声が森田さんだとわかったあとも、歌声が画面から聞こえてくるたびに「えっ誰?」てなって10回くらい二度見してしまった。いやだってギャップがすごいんですよギャップが!!外面と歌声の甘さのギャップが!!ちなみに読書しながら一緒に見ていた同居人も、森田さんの歌声が流れるたびに「え!?誰!?森田くん!!?」と顔を上げて画面を確認していた。
私のなかの森田さんというともちろん大河「平清盛」で間違いない。平家にあらずんば人にあらず、かの有名な台詞をのたもうたそのひとが、まさかこんなにも甘い歌声で歌って踊っているとはびっくりである。いやあ、しかしあの大河は本当におもしろかったですよねえ…画面が汚いとか言ったどっかの知事永久に許さん。
三宅さんの歌声もだいぶ甘かった。(画面に映るたび、せっかくなので何かSHINeeと素敵なご縁の仕事とかがありますように、と念じておいたが事務所的な関係で無理かな…。)

 

途中から20周年ということで、デビュー当時の映像などが流れつつ過去のヒット曲などがメドレーで流れた。わりと知っている曲も多く、改めてどこかで耳にしてるもんなんだなあ、と感心する。
ウルトラマンティガとか見てた…見てたよ…最後なんか長野さんがその身を挺して人類を守ろうとしてくれた展開だったような気がするんだけど、そのシーンでなんか長野さんがトランクスみたいな短パンを履いていたのを覚えている…あれはなんだったんだろうか…子供心に「パンツ!!?」と思った記憶が。それともこれはパンツが見たかった子供の私の捏造記憶か。誰かパンツ覚えてませんか。

20周年を記念して、嵐、トキオ、ヘイセイジャンプも会場に来ていた。この並びで見ると、ヘイセイジャンプはものすごく若く見えた。実際まあまあ若いのだが。昨今某スマップの解散に伴い事務所の派閥争いなどの話を漏れ聞くところである。「これがジャ○ーズ事務所の勝ち組なんだよ!!」と叫ぶ同居人。しかしよくこのメンバーのスケジュールを合わせられたもんですよね。それがすごい。嵐の5人なんてそろっていること自体が奇跡なのでは。昔V6のバックダンサーをしていたとのことで、なるほど、ここは先輩後輩だったのか。そういう昔バックダンサーしましたみたいなのってKぽだとあんまない話だよなあ~と思った。
アンコールでは、なんと嵐がバックダンサーで出てきた。松潤氏が言ったという、「邪魔はしたくない」という言葉が印象的だった。押しも押されぬ嵐である。そりゃそういう心配は全く自意識過剰なんかではない。単独のコンサートはみんなそのグループとかひとを見に来ているわけだけど、そこに一般的に言って大人気の嵐が来ちゃったらもしかしなくても主役を食っちゃうということはめちゃくちゃ考えられるわけで、それでも出たい、でも邪魔はしたくない、そして一緒にやろうよっつったV6も皆楽しくできてよかったよね…!!!嵐踊ったらパっといなくなったし。いやあ、自分達のことよく見えてるんだなあそりゃそうかあ、と思った一場面だった。


いやあ、しかし20年か、すごいな。20年アイドルやるってどういう気持ちなんだろうか。

日々アイドルを追っていると、アイドルを「いつまで」続けられるのか、続けたほうがいいのか、アイドルって一体何なのか、よくわからなくなってくる。人気が出るのは難しい、何が要因で人気が出るのかよくわからない、売れても売れ続けるのは難しい、いつか必ず下り坂がくる、それを一体どうしたらいいんだろうか。
アイドルという仕事はとても大変である。私はふとするとこの記事を思い出す。

ize.co.kr

그 기준을 채우지 못했다고 팀이나 멤버를 비난할 수는 없지만, 팬덤이 이탈하고 시장에서 밀려나는 건 어쩔 수 없다. 아이돌은 극한 직업이다. 카메라가 닿고 사람의 눈길이 닿는 모든 곳을 무대처럼 여겨야 하는 직업.”

その基準満たせない(訳:アイドルのファンタジーやコンセプトを壊してしまうような行動、メンバー脱退等を起こしてしまう)グループやメンバーを非難することはできないが、ファンダムが離れてしまう、市場から脱落してしまうのはどうしようもない。アイドルは極限の職業である。カメラが、人々の視線が及ぶ全ての場所を舞台のように思わなければいけない職業。

韓国語ができない自分が約したので間違いはご容赦ください…

 


「極限の仕事」と評されている仕事「アイドル」。
いつでも笑顔で、倫理的にしっかりしていなくてはいけなくて(いやまあ誰であっても倫理的に越したことはないけどさ)、恋愛が発覚したら叩かれたりして、なんとも厳しいことばかりだ。
普通の「アーティスト」と何が違うかというと、やっぱそういう私生活面での縛りの強さの差かなあ、と思う。それから、世間から「何で評価されているのか」どう判断されるのかの差。

アイドルのメリットといえば、「実力」あるいは「やりたいこと」だけでは広く世間の注目を浴びるのが難しい場合に、アイドル要素を用いることによって普段はそういうものを見ない人達にもファンになってもらえる、というのがあると思う。現に私なんかモロそうだけど、基本的に音楽に興味が無いので、アイドルじゃなかったらほぼ音楽とか聴かない。こういう人間にさえ金を出させるというにはアイドルというやり方はとっても効果的である。普通だったら聴きもしない人間が金出してCD買ったりストリーミング聴いたりするわけだからこれはすごい。すごいが、多分誰しもそこで葛藤するんだろうが、「そんな人間にファンになってもらって嬉しいか」っつう話である。ファンはゼロ、いないよりはマシだろうが、いたらいたで多分その「質」みたいなのが気になってくるものだろう。例えば顔とか擬似恋愛要素とかそういうのに惹かれてやってくるような人間にファンになってもらっても果たしてそれってどうなん??みたいな。多分そういうの考えちゃったりするだろうなあーーなどと思うのは、先日の某ワンオクバンドのインスタ騒ぎを見かけたときなどである。


そりゃ心からアイドル稼業がなんだか素敵だ、やりたい、と思ってやっているのならよいのだが、皆が皆そうでもないだろう。たまたまダンスがしたかったとか歌が歌いたいとかラップで天下取りたいとかなんかそういうのが色々あって、たまたまアイドルとしてデビューすることになったりするわけで、思うところもたさんあるだろうし、色々とホモソなこの社会、きっと「女子供に媚びてる」とか心無いことを言われたりもするだろうし、それで人気が出なけりゃつらいし、出たら出たで色んなところでニコニコ手を振ったりするのも結構つらいだろうし(※最近こんなニュースあったなあなどと…)、人気もいつまで続くかわからないし、続けられるかと思うだろうし、続けたいか、続けたくないか、続けたほうが利益があるのか、ないのか、迷って悩むだろうなあ、と思う。20周年。20年この重みを背負ってやっていくっていうのは一体どういう生き方なんだろうか。

 

最近SHINeeを追っかけながらこういうことをよく思うのは、多分韓国のアイドルが日本のアイドルに比べて「寿命」が短いのと流行の移り変わりが激しいからかなあ。いやまあ何より兵役があるしな…外国人の私は絶対に何も言えないが、30歳手前でグループは一旦数年休止状態になるわけだし。嵐みたいな30超えて国民的アイドルの座揺ぎ無しみたいなのないし、韓国の一般大衆の人気を反映していると言われるストリーミングチャートは、アイドルにとって厳しい現実を知らせたりする。(メロンをチェックする日々。TWICE強いねえ…何が「一般大衆」なのかっつう話でもありますが。大体メロン使ってる年齢層にも偏りあるだろうし、アラサーの韓国の女性とかって一体何を聴いてるんでしょうか。つって私もじゃあ一般的アラサーとしてJpop何聴いてんのと言われると全然知らんわけだが…

SHINeeもうすぐ10年ですか。兵役というキャリアの分断がある以上単純に比較して考えることは絶対不可能だけども、あと10年後。20周年をSHINeeがこうやって同じように迎えられたらいいなあ、と思う反面、もうその頃の年齢にはアイドルの縛りから解放されて大人としてそれぞれがすきなことやってたほうが本人達には幸せだったりするかなあ、などとも考える。いやそれはグループを維持したままでも可能では?いやいや…

 

アイドルを20年やること(やれること)は果たして福音なのか、それとも。何が人生の幸せなのか分からないのと同じくらいに、分からない。

イノッチさんが誰かが「やっぱライブ楽しい、楽しいよね!」みたいなことを言ってたのが記憶に残っている。